不忍池の弁天堂から平城京の大極殿、東大寺、法華寺、光明皇后、お水取りへと
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不忍池の弁天堂
へのコメントのやり取りから一部抜粋
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■Commented by 緋雲 at 2010-05-02 10:48 x
ああ、あと弁才天ですが、日本最古の弁才天像は、奈良の東大寺の法華堂にあるそうです。まゆみ様の「普天間とはなんですか」の柱くぐりの東大寺に、つながりましたね。
■Commented by mayufuru at 2010-05-02 11:38 x
パソコンを開いてネットニュースの一面に法華寺の記事が二つもアップしてありました。そしてこのブログを開いて、緋雲さんのコメントに法華堂が。。。
■Commented by mayufuru at 2010-05-02 11:43 x
hiromi探偵団、ありがとう。まさしくこれですね。大極殿だから当然、天皇とつながるとは思っていますが、天皇のいる場所って興味あります。
■Commented by 緋雲 at 2010-05-02 11:50 x
まゆみ様 法華、ですか。実は、私の先祖はもともと滋賀県で浅井長政の家臣でありましたが、織田信長に滅ぼされ東北へと落ち延びた武士であります。家宝として家系図と資料が残っています。分家がやはり滋賀県にあり、真宗大谷派の寺の住職です。滋賀県にはご先祖の城跡と集落もあります。いつか訪れてみたいと、思っています。そして、私の親友が法華寺の住職です。今回の記事は、私になにか縁があるのでは、と感じております。
■Commented by mayufuru at 2010-05-02 11:56 x
緋雲さん、凄い。あとで法華寺の記事をアップしますね。
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『平城宮のすぐ東に建つ法華寺は、藤原不比等邸を娘の光明皇后が相続して皇后宮となり、745年に宮寺としたと伝わる。国分寺の総本山、東大寺に対し、総国分尼寺として栄えた。・・・』
*藤原なんだ、やっぱり。
神道に出会うまでは私は元々お寺が好きだったので、美しい仏像をみれるのは嬉しい。
中学生の頃からお寺が好きになったんのはちょうどその頃関西に住んでいて
両親と奈良や京都のお寺によく出かけたからだと思う。
成長してからもずっとお寺が好きで、一時期はよく石仏、磨崖仏を見に出かけた。
過去生で石仏、磨崖仏だったのかなと思うほど好きだった。
京都より素朴な奈良が好きで石仏はやっぱり奈良。
飛鳥地方はよく出かけた。
もちろんこの頃は「古市」がこの地方と
密接な関係にあることなんて何も知らない時代。
いつも後からわかる。
その私が今、祝詞している。
祝詞はじめてからもう20年になる。
三年ほど前に奈良に行ったけれど
やっぱり奈良の町の佇まいはいいなと思ったし、お寺は好き。
あと、インドのお香の匂いはきつくて嫌いだけど、お線香は好き。
それから、お坊さんに凄く縁があって、つい最近もお坊さんとの出会いがあった。
『光明皇后は、今年で1300年を迎えた平城京遷都を主導した藤原不比等の娘。仏教をあつく信仰し、薬を施す施設・施薬院を設けるなど病人や貧しい人を救済した。聖武天皇の死後に東大寺・大仏に奉納した遺愛の品々は、正倉院の代表的宝物となっている。・・・』
*これを読むと光明皇后が平城京遷都を主導したとある。
皇室は神道のイメージがあったけれど仏教も同じくらい縁があるということなのか、
それとも仏教のほうが強いのか。
お水取りの二月堂には神社があるでしょ、
これは神道を取り込むとか、囲い込む意味があるのかも知れない。
どちらにしろ、藤原には違いない。
マヨ博士、合ってますか?(現在奈良にお出かけ。)
『漆金薄絵盤は、仏前で香をたく際の台座。奈良時代に作られ、東大寺・大仏の前で使用されたという。木製でハスの花をかたどり、金箔(きんぱく)地に、架空の花である宝相華(ほうそうげ)や鳳凰(ほうおう)、獅子などの彩色文様が描かれている。・・・』
ここにも獅子が。
ハスの花もある。
東大寺の法華堂は法華寺ときっと同じでしょう。
ざっとだけど、弁天と光明皇后は関係あるに違いない。
突然、二月堂が気になってきたので
前にも記事にした「お水取りを新たに検索してみた。
最初に目に付いたサイトでみてみると、この東大寺お水取りが面白い。
サイトを読みながら書いていきます。
千二百五十年以上一度も欠かさず受け継がれているということは
これは光明皇后が亡くなってからの1250年と一致する。
ということは、このお水取りは光明皇后のため?
水は弁天でもあるから・・・
水=弁天=光明皇后=十一面観音=法華寺=東大寺=法華堂=二月堂=お水取り=若狭?
(お水取りと若狭の若狭彦神社、神宮寺の関係については以前記事にしました。
毎年3月2日の深夜に遠敷川上流の“鵜之瀬”から二月堂へ向けて「お水送り」が行われます。)
光明皇后を弁天様に重ねたんじゃないでしょうか。
閼伽井屋の屋根の四隅には、鵜形の瓦があるそうで、またもや鳥、だけど今度は鵜。
鵜飼いも不思議な風物だけど、お水取りと絵的に似ている。
夜中、松明、水。
行法中には、「大中臣祓」、「神名帳」奉読、「牛玉札(牛王札)」頒布などの
神道や修験道などの諸作法も採り入れられているともある。
二月堂が西に向いてるのは中国を向いている?
二月堂の注連縄の張り方向が一般の神社とは違っていて、
綯い始めが向かって左側にあるそうで、
東大寺境内に隣接する手向山八幡神社も同じだとか。
出雲大社の例が有名だとか、宇佐八幡大神との関係とかも書かれているけれど
これは私にはわかりません。
宇佐八幡が出てきたのでタイミング的に
この後、別ページで宇佐八幡の珍しい写真をアップします。
by mayufuru
| 2010-05-02 12:09