お便り紹介
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友人からのメールを一部省略して掲載します。
さっき久しぶりに電話で声を聞けて子供のように嬉しかった。
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Sent: Thursday, March 11, 2010 10:55 PM
To: ふるいちまゆみ
Subject: Re: 久しぶりです
まゆみさん。
・・・・・省略・・・・・
元気にしています。
わりと「つながっているブログ」をまめに読んでいるから、なんとなく、どんな様子か知っている気になっています。実際の日常や、体感的なことはブログとは随分異なっていると思うけれど、なんとなく分った気になっているあたりが妙だね。
何回かブログのコメント欄に火がついたような時がありましたね。(「炎上」というのかな?)
大抵、そんな時は日本人の無意識に広く分布する問題群だったりしますね。それらの中で僕が気になったことを書きます。でも、以下はまゆみさんからのメールがなければ書かなかった(他者に伝達しなかった)ことです。
朝青龍の件は、引退のニュースを見て、僕は自分を含め「なんだかなさけない国民性」だなあ、、と恥ずかしい気分になりました。外国人に「国技」っていわれる技術の最高位をまかせ、、つまり朝青龍に、ある意味日本人がお願いしているような立場だったのに、、外国人にお願いした時点で、もう国技ではないわけだから、理事会とか何を今更偉そうに言ってるんですか?ってことに思える。
朝青龍に対しては「日本人がお願いした」という経緯からすればお礼すらするべきはずなのに、、、それを、上手く手なずけられなかったからって、いわゆる権力を持ってる知識人達が「辞めさせる」というやり方は醜悪だ。相撲の審議委員とかって、相当な名誉職なわけで、相当な権力の行使者なわけで、、その権力者達が相撲という半神事的なことに群がる「あやかり人間」の欲どうしさ丸出しに思えてしまいます。
しかも、大抵の神事は「祝い事」の側面より「祟り事を避ける」為におこなう。これは「人生って喜びより辛いことのほうが多いのね」っていう裏返しなのだけれど、、(笑)それを、この権力者達はもっと喜びが欲しいってやっちゃうわけだから欲深いね。だけど考えてみれば、「祟り」の発生は欲深さから生じるというのに、かの権力者達はさらに欲するという自己矛盾に気がつかない。
結局、外国人を呼んだのだって、金銭的な事情で呼んだとしか思えない。神事を金銭の問題で経済化したわけだから、当然現在のスポーツの形態になるのは時代の必然だろう。でも、スポーツにしといて「品格」だの なんだのって、自分達が生み出したシステムを自分達でこき下ろしてどうしようというのだろうか?
あるいは、力士というのは神事をするために作為的に奇形の体型を作って競わせるわけだから、大衆というのはしたたかな存在であるとは思う。しかし、そのような者達にあげる賽銭と、外国人に自国の奇形の系譜を押し付ける経済とは異なってかんがえなくてはいけないと思う。
つまり、外国人力士によって、集団を集団たらしめる境界を破ってしまったわけなのだと思う。韓国の話しもいっしょだよね。
以前、僕はパスポートを持って国外に行った時、「日本国憲法」によって守られていることによって「国際法」が適応され外国で守られていることを実感したことがある。つまり、外国で人権を保てているのはこのパスポートによってなんだ、って思った。その時、パスポートという自己証明証(言語)によって自分の存在が社会的に確定していたのだと思う。
だけれども、日本は言葉による契約が社会的に重要な概念になっている国ではない。それをつきつめれば、言語的には国を実感できないということになる。さらに、日本って国境は海だから、肉体的にも国を実体感できない。そうなると、他国や他民族を蔑視したり、逆にへつらったりしないと「国体」を保て難いんだろうと思う。その事はもう充分分っている。
けれども、一番の問題はその卑怯な血が自分にも流れていると思う時があるってことです。そうはいっても、 僕自身でも自分の悪いところは認め難いんだよね。しかし、その卑怯さを自認しない限り、グローバルとか地球人とかは成立しない。
地球人になるために必要なプライドはその自国でしか育む事ができない。何故かといえば、ほとんどの事は教育によって学習し、一つの言語体系に裏打ちされている人格を持っているからです。その人格にプライドが付随し、さらに社会がプライドを熟成するからです。
そして、教育は国の単位でなされ、母国語でできている。つまり、自分や友人を信頼したりできるのは言語の構造を信頼していると言ってもいいのだと思う。現在はまだ地球的言語ができていない以上、地球概念の獲得はほど遠い状況にあるのだと思う。
さらに、なんと!!その自国に対して持つプライドの中に「嫌な日本人」の概念が僕にはある。これも逃れられない。逆にいえば、もし仮に僕が韓国で生まれ育ったとしても、韓国的「嫌いな自国民性」も生まれるだろうし、そこからは逃れられないと想像する。
そして、その「自国に対する嫌悪感」こそがその国で生まれ育たないと実感できない事のように思う。もし僕が幼少のある時期で日本を離れ、外国に暮らしていたら、日本が大好きで嫌悪なんてしないと思う。つまり、地球人になるために必要なプライドと表裏一体として、自国で生まれ生活した者にしかわからない嫌悪感がある。
このアンビバレントなくして国際人(地球人)になれるというのは幻想でしかない。国際人としてのカタルシス(浄化)とはこのようなことだと思う。
相変わらず、ややこしい感じの話になってすみません。
・・・・・省略・・・・・
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そういえば、この前に沖縄に行った時、道ばたで木の実を拾った。
そして、松本で鉢植えの脇に植えておいたら、昨年芽が出てきて、今は20cmほどの苗木になっています。ネットで調べたら「キョウチクトウ」という南の地方では街路樹としては一般的な木のようです。
しかし、トリカブトと同じくらい毒性の強い木だそうで、ややびっくりしています。
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by mayufuru
| 2010-03-14 15:07