閉じ込められた神が動きだした? その17 (十二部族)
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鎌倉の「五所神社」の緯度経度検索しようとすると、
千葉県山武市蓮沼(上総国武射郡)の「五所神社」が出る。
「五所神社」
緯度 35度36分44.22秒(35.612284)
経度 140度30分15.28秒(140.504246)
ということはここが元祖かな。
また安房国だ。
貯水池が盛り上がった東金市下武射田にも近い。
今日は元祖中心でいきます。(引用はすべてWikipediaより)
■「五所神社」(千葉県山武市蓮沼)
『天照大神を主祭神とし、誉田別尊・天児尾根命・素登織姫命・表筒雄命、の5神を祀る。
承安元年(1171年)の創建と伝えられ、治承4年(1180年)には石橋山の戦いに敗れた源頼朝がしばらくこの地にとどまり武運長久国土安泰を祈願したといわれ、中世以降は上総国山辺荘の総社であった。・・・・・下総芦戸に封じられた木曽氏と当社の神官に縁故があったことから造営資金の提供を受けたといわれている。・・・・・毎年2月の第3日曜日に奉納される「十二面神楽」が有名である。・・・・・九十九里浜の中央とされる「箭挿(やさし)神社」は五所神社が管理している。また、北東側に約2km離れて四社神社があり、南西側には約3km離れて大宮神社がある。』とある。
やっぱり頼朝だ、戦勝祈願だ。
四社神社と大宮神社はウシトラとヒツジサルの配置だろうね。
素登織姫命の「織は」秦氏?
「四社神社」
『速須佐之男命・天津兒屋根命・別雷命と菅原道真公を祀る。889年臣籍降下した高望王が、昌泰元年(898年)上総介に任じられ上総国武射郡に屋形を造営、延喜元年(901年)9月には(或いは子の良兼が)その屋形の鬼門に当たる所に当社を建立、また延喜2年(902年)2月には寺院を建立したといわれている。天慶の乱(939年)に際して朝廷軍が戦勝を祈願したときから「四社大明神」と称されていた。』とある。
屋形って八形、矢形とも言えるよね。
なんかイスラエルっぽい。
ということは四柱神社も同じ系統かな。
ここでも戦勝祈願だね。
「大宮神社」
『807年)の創祀、祭神は大己貴命と少彦名命。後に近江国日吉大社から大山咋命を勧請し「大宮山王大権現」と称し江戸期には「借毛郷大宮」と呼ばれ・・・・江戸中期に日光二荒山神社より伝わったとされる・・・・・の12座が奉納され秋の例祭には神輿の渡御が行われる。』とある。
また日光二荒山神社だ。
12だ。
「箭挿(やさし)神社」(箭挿八幡宮)
『頼朝は6町を1里として次々に矢を立て、丁度49本目が箭挿神社になったのでここに小宮を建て10本の矢を奉納したと言われている。一方、頼朝はこの長い砂浜の中央の小祠が日本武尊を祀った社であることを知り、喜び、先祖の源義家と同じく矢を束ね、幣帛(供物)として奉納したともいい、これが箭挿神社であるといわれている。』とある。
また頼朝だ。
矢だ、まゆみだ、檀君王の檀だ。
49か。
あと一つで50だね。
7×7=49=13
49で10本の奉納?
なあに、これ。
あっ、もしかして・・・・
「九十九里浜」
『古名は玉浦(玉の浦)で、源頼朝の命で6町(1町は約109メートル)を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるようになったとの説が有名で、中央とされる山武市蓮沼地区には箭挿(やさし)神社がある。またその故事に因んで、矢指浦の別称がある。』とある。
今度は99。
こちらもあと一つで100。
意味深だな。
矢って神柱のこと?
9+9=18=9
9×9=81=9
どっちも9になるね。
「箭挿神社」はあと一本でで50。
しかも50と100で倍。
「箭挿神社」と「九十九里浜」の共通はあと一本。
なあに、この一本は。
うう~ん、怪しい。
絶対何かあるぞ。
九十九って「功徳」とも読めるね。
九が十九あるとも、
あるいは九がが十区あるとも読める。
じゃ、九は球、弓、宮?
「封じられた木曽氏」
なんでここに木曽氏が?
「十二面神楽」
すぐ「十二所神社」を想起
五と十二はセットとみた。
そして八幡も。
再度「十二所神社」
「十二所神社」で検索すると東京武蔵村山市の「十二所神社」が出る。
緯度 35度45分36.17秒(35.760047)
経度 139度22分46.76秒(139.379655)
ここが元祖かな。
「十二所神社」
『十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)という名前の神社は日本全国にあり、十二社神社(じゅうにしゃじんじゃ)、十二神社(じゅうにじんじゃ)と称するものもある。その多くは熊野三山の神を勧請したもので、明治の神仏分離までは「十二所権現社」などと呼ばれていた。熊野三山には12柱の神(熊野権現を参照)が祀られており、これを「熊野十二所権現」と称する。これらの神を勧請して祀ったのが十二所権現社、現在の十二所神社である。なお、十二所神社の中には祭神を「天神七代・地神五代」としている所もあるが、これも多くは熊野十二所権現を祀っていたのを、明治の神仏分離の際に改めたものである。』と書いてある。
12柱?
あっ、イスラエルの十二部族?
「箭挿神社」で頼朝が奉納した10本の矢は失われた十部族?
じゃ、足りない一本は、「ヤハウェ」?
じゃ、源氏はイスラエル?
矢の象徴はイスラエル?
日本武尊もイスラエル?
熊野三山もイスラエル?
茨城県久慈郡大子町にも「十二所神社」があるでしょ。
昨日の段階で大子町と鎌倉はつながっていることが明確になった。
ということは、鎌倉も大子町も大阪の太子町もみなイスラエル?
鎌倉には白旗神社があったから秦氏?
大子町にも鎌倉にも熊野神社、諏訪神社もあるということは
諏訪神社もイスラエル?
あっ、沖縄も?
(99年に越してきた時に沖縄の言葉はヘブライ語に似ていると思いました。)
あっ、99だ。(笑)
何だ、何だ、一体これは。
今回事故が続いた
神奈川県茅ケ崎市柳島
沖縄県那覇市、
茨城県久慈郡大子町
大阪府南河内郡太子町
神奈川県鎌倉市由比ガ浜
そして、源氏
「五所神社」
「五霊神社」
「十二所神社」
「八幡神社・八幡宮」
「熊野神社」
「諏訪神社」 (四柱)
「春日大社」 (四神)
「科長神社」 (二上山・二上神社・恵比須神社・琴平神社・稲荷神社)
「近津神社」
「真弓神社」
「日月神社」
「旧日月寺」(出羽三山)
「男体山」
「日光」
これらすべてイスラエル?
「八幡とは何ですか」のこの言葉
”ハチマンの中にあるおびただしい死の数々”
これを鎮めるための神社が、「御霊神社」?
再度お読みください。
内容が違って読めるはずです。
「八幡とは何ですか」
日光二荒山神社の「二」って、イスラエルの2部族?
二、四、五、八、十二、か。。。
ついでに資料として
鎌倉には三がつく神社があったし、熊野三山も三だから、三も覚えておこう。
十二から九を引くと三だしね。
その「九十九里浜」の九も入れたほうがいいかな。
箱根の「九頭龍神社」もあるしね。
あつ、第六天神社もある。
7はどうなるの?
節操なくなってきたからやめようね。
私のぶっ飛び考察が当たってたら、イスラエルは数字が好きなんだ。
日月神示・ひふみ神示・一二三神示も数字だからイスラエル?
(日月神示・ひふみ神示・一二三神示のチャネリング詩は先月公開してます。)
①9日 19時56分ごろ 東海道南方沖 M6.9
②11日 5時7分ごろ 駿河湾 M6.6
③13日 7時49分ごろ 八丈島東方沖 M6.5
こうやってみてくると、今回の大きな地震三つは源氏に関係してるでしょ。
八丈島の地震なんかホント北上して頼朝の後を追いかけてるみたいだもの。
関東=源氏として考えれば発振した場所はみな源氏つながりかも。
関東全域が秦氏の拠点だったらますますピッタリだね。
大磯から上陸した評判の良かった高句麗の若光との因縁?
(703年に若光は文武天皇から高麗王(こまのこきし)の氏姓を賜る。)
こんなサイト見つけました。山伏も登場します。
「猫の覗き見」矢指浦ってどこ?
『日本武尊を祭った社が、秦氏ゆかりの神社でしょ。 そこに先祖の源義家や、源頼朝が矢を奉納したのはなぜでしょう。 それがイスラエルの神の社であるなら、奉納された矢はヤハウエを意味する“ヤー”なのでしょうか。 要は、箭挿(やさし) ...』
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-d773.html
こちらのサイトでは「秦氏と蘇我氏」を検証されていて、神奈川は韓川とある。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/hadano/index6.html
by mayufuru
| 2009-08-23 17:39