神社は朝鮮半島から来たの? その6
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日本の中の天日槍
天日槍とは
・・・近江は非常に天日槍の遺跡が濃厚なので、書いてありますけれども、天日槍のその重要性についてはほとんどふれておりません。十数年、各地を歩いてみますと、この天日槍という存在が大変なものであるということがだんだんとわかってまいりました。
たとえば伊勢神宮です。・・・伊勢には韓鋏という地名もあります。・・・だんだんたどっていきましたら、これの発祥の地は丹後なんです。・・・そこに籠神社というのがあります。
これは伊勢神宮の元である。ここは天日槍文化圏といってよいところなんです。つまり、丹波、丹後、三丹地方といいまして、この辺は天日槍の文化の非常に濃厚な地帯である。
その籠神社をいつき祭ったのが、天日槍族という言葉をこれから言いますけれども、天日槍族を出石人(いずしびと)ともいいまして、それが建てたのが伊勢神宮であるということをはっきり書いている人もいます。
天日槍はレジュメにも書きましたように、「日本書紀」では「天日槍」と書く。「古事記」では「天日矛」と書きます。これをどちらも新羅の王子ということにしております。けれども、決してそれは新羅の王子などという個人ではなくて、これは新羅系渡来集団の象徴のようなものである。つまり、天日槍というのは人間の名前ではないんです。
古代日本の中の天日槍
これは新羅から渡来した矛や剣で神を祭る集団の象徴のようなものであるということは、直木幸次郎さんも「兵庫県史」の第一巻に書いております。新羅人は太陽を祭ったわけです。いわば天日槍(矛)とは、そのための道具なんです。
・・・水谷慶一さんの本によりますと、太陽を祭るのに「とじ」という言葉がでてきます。そのことをるる説明しておりまして、これを呉音では「つげ」というのだそうです。
「つげ」という地名は関東にもありますし、関西にもいくらでもある。・・・・・そんな具合に新羅人は太陽神を祭った。太陽神と同時に祖先を祭った。そこから神社が発生するということになるわけです。
まず第一に、「古事記」の中に日本の国の初めのことがどう書いてあるか。いわゆる天孫降臨です。・・・
「かれにここに天津の日子番の邇邇芸の命の石位を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、稜威の道別き道別きて、天の浮橋にうきじまり、そり足して、筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りましき」
ニニギノミコトとは、いうところの天照大神の孫ですが、天照大神が孫を日本の土地に天から下すわけです。そして、ニニギノミコトが高千穂の峰に天降る。そこで「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故(かれ)、此地は甚吉き地。」というのです。
つまり、この地は韓国に向かっているとして、「古事記」には韓国と書いてあります。ほかには「唐」という字にしたり、「辛」に直したりしておりますけれども、ここにははっきりと韓国と書いてあります。
そして「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故」、「古事記」なんか読むと、「故」と書いて「かれ」といいます。それであるから、この韓国に向かっているところはよいところである。この「かれ」というのは「ゆえ」でいいのに、どうして「かれ」なのか。
これは明治時代ですけれども、東大の宮崎道三郎さんが出した「日本法制史の研究上における朝鮮語の価値」という論文があります。それによりますと、「故(かれ)」というのは朝鮮語なんです。これは今でも朝鮮語で「故(コ)」といいます。それであるから、それゆえにというのを、「クルン故(コ)ロ」あるいは「故(コ)ロ」ともいいます。・・・・
それはともかくとして、では、そこは一体どこかという問題です。という前に・・・・・この「くじふる嶺」というのはどこから来たかということです。
たとえば、この本は天皇家の三笠宮崇仁殿下の編集した本で「日本のあけぼの」という本です。この中に、大和朝廷の創立者はだれかという項目がありまして、そこにこういうふうに書かれています。
「天孫ニニギノミコトがイツトモノオを従え、三種の神器をたずさえて、高千穂のクシフルの峰、またはソホルの峰に降下したという日本の開国神話は、天神がその子に、三種の神器をもち、三神を伴って、山上の檀という木のかたわらに降下させ、朝鮮の国を開いたという檀君神話や、六加耶国の祖が」、ここに加耶というのが出てきますが、これは天日槍と重要な関係がありますから、覚えておいてください。「六加耶国の祖がキシという峰に天降ったという古代朝鮮の建国神話とまったく同系統のもので、クシフルのクシはキシと、ソホリは朝鮮語で都を意味するソフまたはソフリと同一語である」うんぬん。
つまり、「クシフルのキシ」というのは、これを朝鮮語で「クジ」といいます。金海の飛行場から近いところですが、加耶へ行きますと、これは加羅とも言ったわけです。
・・・そもそも、韓国の韓という字を書いて、「から」と読んでいるのはここから来ているんです。これは朝鮮語でも「カラ」、日本後でも「から」です。これは現代朝鮮語で「クジポン」といいますが、「クシフル」はここから来たんです。これは六加耶国の祖、駕洛国、すなわち加耶・加羅国を開いた首露王というのです。これがそこへ天降ったということになっています。クジポンというのは、その伝説の降った峰なんです。行ってみましたら、小さな、ちょうど大和三山のうちの天香久山みたいな山です。
・・・また、詳しくお読みになりたい方は、平凡社から「日本語の歴史」という本が出ております。・・・この「日本語の歴史」第一巻は「民族の言葉の誕生」というものです。」・・・
要するに、この「古事記」の読み方は、ここに言う韓国はもちろん南朝鮮のことで、そこは天つ神、ちまり天孫の故郷と解することが文章にかなった最も自然な読み方であるということを言ってるわけです。先ほどの三笠宮の編纂した本に書かれていることと同じ事を言ってるんです。
そして、さらに続けて、「天孫降臨が海北(南朝鮮)から筑紫へ渡ることを意味していたと見ることができる」「大和朝廷の天皇家の祖先たちは、海を渡って南朝鮮から北九州へ渡来し、そこを日本における最初の拠点としたのであろう」「南朝鮮から北九州へに渡った外来民族は、何代か後に畿内に進出した。これが神武東征伝説に反映していることはいうまでもない」と書いている。
つまり、林屋辰三郎さんが、天日槍の渡来伝説は神武東征伝説と全く同一のものであるといっているのと同じことを、ここでも言っているわけです。神武東征伝説というのは、そのことを伝説化したものであるといってるんです。
そこで、こにいう「任那」について言っておきます。・・・・・
これは朝鮮語でいいますと、「任那(ニムナ)」というんです。これは主(あるじ)の国、または君主の国という意味です。日本という国号ができるのは、七世紀に入ってからですから、近江朝になってからです。・・・にもかかわらず、それ以前にどうして日本という言葉があったのか。ということで否定されておりますけれども、しかし、「古事記」や「日本書紀」は後に書かれたものです。八世紀にできたものですから、その時、現にある名前をもってつけても、別に不思議はない。
ですから、任那日本府を、「日本書紀」に書かれているとおりに文字とおりに考えるからいけないのです。・・・・・
加耶の中に安耶(あや)という小さな国があった。この安耶を安羅(あら)ともいい、安那(あな)ともいうわけです。・・・朝鮮語では、ラ、ヤ、ナというのは容易に転訛し合う言葉なんです。・・・
もう一つ例をあげますと、いちばん有名な神様に、大国主命があるでしょう。・・・中にこういう名前もあります。大穴持命。この穴というのは安那、ここから来ているんです。そうすると、大国主命にもなるでしょう。
加耶諸国の重要性
それでは天日槍というのはどこから来たかということです。ここで日本の天孫降臨のニニギノミコトのあれとダブるわけですけれども、ぼくは新羅・加耶系といっておりますが、・・・・朝鮮では高句麗・百済・新羅の「三国史記」という本がありますけれども、これは本当は「四国史記」でなければいけないんです。加耶諸国というのは、・・・・もっと広かったんです。・・・非常に古くて、しかも日本とは最も密接な関係があるところです。
・・・いま韓国では加耶開発十ヵ年計画というのをやっております。そこから出土品がいろいろ出ています。そういう出土品と合わせて、今後、日本の国の成り立ちと加耶というのが非常に大きな問題になって浮かび上がってくるはずです。・・・
この加耶にはほかにまた多羅という国もあったんです。・・・「たたら」というのがあります。製鉄のふいごでしょう。要するに、天日槍集団というのは農耕文化を持ってきたものなんです。農耕文化というものは鉄文化です。多羅という国が最終的に滅びるまでには、国を挙げて日本にやってくるんです。
・・・・・その「続日本紀」の772年、・・・そこにはっきり書かれていますけれども、大和の高市郡は漢(あや)氏が全人口の八、九割を占めていた。漢字の漢を書くものだから、厄介なんですが、これは安耶(あや)なんです。・・・つまり、百済に制圧されていた安耶。そこから彼らは十七の県の人夫を引き連れて飛鳥に来て、今来(いまき)に郡(こおり)をつくった。これが高市郡です。
・・・今来というのは、後からやって来たものということで、初めは「来」という字でしたが、後に「木」という字に変えるんです。・・・
これは百済・安耶系の今来です。今来というからには古来(ふるき)がなければばらない。・・・当然、古来があるわけです。これを上田正昭氏などは「古渡り」といってます。これから話をする天日槍は、その古来なんです。
・・・やはり、新羅、加耶が日本の建国にとっては最も中心的な存在になる。
つづく
by mayufuru
| 2008-11-16 11:00