祝詞考察その4
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私のHP「mamu☆tan」にアップしてある祝詞の簡単な説明を載せておきます。
コンサート用にと手元にある古神道、神道の本から簡単にまとめたものです。
「祝詞って何?」
古代の人々は洋の東西を問わず、言葉には精霊が宿り、
その霊妙な力によって人々の幸も不幸も左右すると考えていた。
その言葉の力の本質を知り、その力を駆使するものは
あめつちをうごかすことができる。
それゆえに古代の日本人は、言葉に対する畏怖の念をもっていた。
その言霊のパワーを最大限に取り入れたのが祝詞。
祝詞は元来、神の発する命令の言葉であり、
もしくは天皇が神の資格で発する命令的な言葉である。
神に向かって発する言葉、
神を祭るものが神に代わって発する神の言葉・・・・・
などと解釈されています。
以上。
祝詞を20年近くやってきて思うのは
祝詞奏上するときにすでに祝詞自体に意思が入っていると思います。
さて、祝詞奏上ですが普段は淡々とやります。
だけどかなりの雨を降らせるときはちょっと力が入ります。
というか、自然と力が入る祝詞を選んでやるからです。
この祝詞はやりすぎると台風が発生します。
そういう意味では祝詞の言葉の本質を感じ取って
奏上していると受け取ってもらえたらと思います。
あとその日、時間の雰囲気で祝詞のしかたが変わります。
ガラッと変わるときもあります。
やっぱり動物的なんでしょうね、私は。
すべてに通じることは、祝詞をするときにスイッチが入ることは確かです。
切り替わります。
やっぱり動物的だ。
この辺りの説明は私にしかわからないので難しいですね。
コンサートなどのときは
波動・振動を、祝詞の美しさ、迫力、パワーを感じていただくために
抑揚をつけたり振動させたり声の高さを変えたりします。
祝詞の種類によってはほとんど意思が入らない祝詞もありますが
ほとんどはすでに意思が入っています。
だから願いを込めるなといってもすでに入っているのです。
それが祝詞です。
しかし祝詞ってお祝いの言葉と書くなんて、
どうやってこれをノリトと読ませるのか、ある意味魔術っぽい?
ノリトの言葉を眺めると、祈りが届くとか、波動が届くとか、
あとぶっ飛びで、完全につながるとか、つながって始まるとか、
そんな雰囲気がある。
私にとっての祝詞はやはり、私と天との契約だと思います。
いくら自然体でいようが力があろうが声がきれいであろうが
それで願いが届いて”実現する”とは思えないからです。
祝詞を練習して心身の調子が良くなったり
空気がきれいになったり
空の様子が変わったりするでしょう。
だけどなかなか天からの返事は来ないと思うのです。
返事がきてるならいつの世も平安で人々は健やかだと思うのです。
だから祝詞を唱えても意味がないというわけじゃなく
ぜひ祝詞奏上していただきたいと思います。
自分のためにも周囲のためにもいいからです。
以前も書いたように祝詞のための「あおうえい」の
発声練習を数人でするとうねりが町中に響き渡ります。
その場にいる全員が実感できます。
身震いするほどです。
何度も書いてきましたが私は言葉を非常に大切にしています。
だからこだわります。
これも祝詞に通じるでしょう。
最近日本語が乱れています。
そういう意味でも祝詞奏上は
日本語の言葉の魂を失わせないもののような気がします。
乱れた言葉を使うことで心身が間違った方向に行こうとするのを
修正してくれるような気がします。
三四一九さんのコメント
>この世で一番おくれているのが現宗教と宗教家です。
本来の信仰解っていない人たちです。
祝詞のことあなたの思うようにしてください。
正神真神には戒律ありません。
今では岩戸開けています、人を助ける想いは天地に通じます。
言霊には力あり、あなたのもって生まれた力です。
これは単純に率直に嬉しく思います。
ありがたく思います。
kaoppusuさんのコメント
>といいますのも、演奏しながら感じるのですが、楽器から音を出すというよりも、
演奏者同士が互いの内的な意識を楽器を通して表出しているようなイメージが
あって、その際に互いの内的な意識が融合するか、しないかの差が大きい。
>うまく融合した場合、不思議と「瞬間的に良い音が重なり合う」ような場面が多
々あります。こっちの放った意識が相手の意思に影響を与え、それが更にこっ
ちの意思に影響を与え、同じベクトルを向いていくようなイメージでしょうか。
表出された意識は、目には見えなくても、意識を投げかけた対象には何らか
の影響を及ぼすのではないかと思います。まゆみさんは宇宙の意識と自分の
意識を融合できる優れたアーティストだと思っています。
>私的には、祝詞というのは意思を伝える洗練された様式ではないかと考えます。
なので、まゆみさんのように通じる感覚を体感されると、意識だけでも通じるので
はないでしょうか。
kaoppusuさんのこのお話は、まさしく祝詞のための「あおうえい」の
発声練習を数人でするとうねりが町中に響き渡ることと同じだと思います。
このお話で”神の領域”を思い出しました。
以前もコメントで”神の領域”のことを書かれていましたが
たとえば職人やアーティストが本人も驚くほどの素晴らしい仕事が出来たとき
私は”神の領域”に入ったんだと言います。
たぶん本人は手が勝手に動いたとか言うでしょう。
”神の領域に入る”ことと”神の真似”をすることは全然違います。
LHC実験などは”神の真似”です。
だから”神の領域に入る”ことは賛成です。
素晴らしい仕事をしてください。
kaoppusuさんからの”優れたアーティスト”のお言葉、
率直に最高に嬉しい、私にとって一番の褒め言葉です。
こういうところは私って調子がいいですよね。
私のHPにアップしてある私が思うアートですが
祝詞と三四一九さんの励ましのコメントとも通じるところがありませんか?
祝詞は真のアートなのかも知れない。
「わたしはこう思います
アートは無限の自己主張
計り知れない大元の意識から
湧き上がってくる自己と言う形を借りた表現
真のアートは全く制限がない」
追伸
あ、そうだ、アートだったら祝詞のCD出してもいいかも知れない。
こんなことを書くということは、無意識では祝詞のCDを作りたいのかも知れない。
コンサートしたくせに祝詞のCD作ることに私の何が規制してるんだろう?
再度、祝詞のCD、考えてみよう。
揺れ動く、ふるいちまゆみです。
by mayufuru
| 2008-10-01 11:26