人と真剣に向き合うこと
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返事がてら書きます。
確かにさすらい人さんが普段書かれることはわからないことが多いです。
何を言いたいのか考え込むことも。
読者の方でも同じ事を感じている方は多いと思います。
だから仕方なく雰囲気で感じ取っています。
この人は何かを伝えたいのだなと思うと無視は出来ません。
出来るだけ理解しようと努力します。
たまにストレートにわかるときもありますが、ほとんどわかりません。
さすらい人さんの今朝のコメントを読んでやはり間違ってなかったんだと思いました。
ただちょっとショックでした。
こんなに真面目にコメントを理解しようとした私が
バカ正直で間抜けにみえたからです。
適当に読めば良かったと思いました。
しかし、さすらい人さんのメールは全部伝わりますよ。
普通に伝えようと書かれるからでしょう。
メールの文章とコメントの文章は全然違います。
何故なんだろうと。
メールの文章でコメントも書いてくれるといいのにと思いました。
コメントはブログの記事ほどではないでしょうが
多くの方がごらんになっています。
もしかしていろんな人から見られてるという気負いがあるのではないでしょうか?
気負いすぎて意識しすぎて意味不明のコメントになってはいないでしょうか?
さすらい人さんに限らずそういう方は他にもいらっしゃるでしょう。
何故、人は良くみられたいのか?
何故、他者の目を意識するのか?
だからコメントの内容がわからないことが結構あります。
内容を把握するのにかなりエネルギーを使います。
前にも書きましたが
普段ブログを書くだけでかなりの時間、体力、エネルギーを使います。
作品も作らずブログにかかりっきりで
情報垂れ流しで、サービスしすぎで
何やってるんだろうと思うときもしばしばです。
だから旧ブログのように
コメント拒否設定にすれば楽だろうな思うときもありますが
これをするつもりはありません。
それから、
すでにその人なりの答えが出ていて完結されている場合、
文脈が意味不明な場合、
専門的で難しい場合、
読者同士で会話が成り立っている場合、
了解しましたというような内容の場合、
こういったコメントには返事をしないことがあります。
”読者同士で会話が成り立っている場合”は
以前嬉しいことだと書きましたが、
皆さんの会話を眺めるのは微笑ましいし
私としても返事を書かなくていいので非常に助かります。
たまたま今朝、ぉιょぅさんからコメントが入っていたので引き合いに出しますが
ぉιょぅさんのようなコメントはわかり易くて非常に助かります。
さて今朝のさすらい人さんのコメント
>文脈もばらばら、そして、文法にもあっていない。単なる思い付きの言葉の羅列。普通に読めば、無視されるのに、何故・・・・?
この部分です。確かにそんな印象なんです。
やはりそうだったんですね、私の読解力がないのか、私がバカなのかと思ってました。
ある意味ホッともしたけど、さっきも書いたようにショックも感じました。
ところがです、ここが読者と管理人の立場では全く違います。
(以前も同じようなことで少し揉め事がありました。)
管理人としては何とか返事を書かないといけないんです。
ヒオキさんは無視したらと言いますが私にはなかなかできません。
ブログによっては一切返事を書かない方もおられますが私はそれができません。
読者は好きなことを好きなように書けるわけです。
中には独り言を書く方もいらっしゃるでしょう。
捨て台詞を吐いて立ち去る人もいるでしょう。
だから普通の言葉でシンプルにわかりやすく
伝えてくれる読者の方のコメントは非常に助かります。
私は基本的に相手にきちんと伝えようとします。
ブログの記事でも詩以外はなるべくきちんと伝わるようにと
言葉をシンプルに、だからつい文章が長くなってしまいます。
たまにはきどりたいなとか、
難しい言葉を使いたいなと思うときもありますが
なかなかできません
特にコメントはそうです。
以前も書きましたが
人は誤解をする生き物です。
私は誤解されるのが嫌で、出来るだけ避けて生きてきました。
特に大切な人との間ではお互い誤解を生じたくないので
ものすごくエネルギーを使って会話します。
これはネットではなく日常的なことです。
ネットではこうは行きません。
まず顔、姿が見えないからです。
顔が見えないということは会話中の表情が見えないどころか
本名もわからなければ、性別もわかりません。
世界がどうして行き詰った状態なのかと考えるとき
人が人を誤解する、この誤解が原因だと思うのです。
世界のことがわからなければ、
家族、友人、夫婦、恋人、仕事関係で考えてください。
自分のことがきちんと伝わっていると思いますか?
誤解されてませんか?
相手のことをきちんと理解できていますか?
本音で素で相手と接していますか?
何でもどんなことでも相手に言えますか?
以前ヒオキさんともめた一例で話してみます。
あるものをみてヒオキさんは「俺は嫌いじゃないよ」と言いました。
私はそのあるものが迷惑だと思ったので驚いて何度も議論しました。
私が考える「嫌いじゃないよ」はどちらかといえば好きな部類のことです。
だからびっくりして抗議に近い議論をしました。
最終的にわかったことは
ヒオキさんの「嫌いじゃないよ」と言うのは
好きだという意味でなかったということ、
あと、もっと迷惑なものがあるよということでした。
私が疑問に思ったことを納得いくまで議論したからいいけれど
そのまましまいこんでいれば妄想の世界に入り込むかも知れません。
勝手に相手のイメージを作り上げてしまうかも知れません。
相手の価値観を疑い、相手の気持ちを疑い、
こういうことが重なると更に妄想は膨らみドラマが生まれます。
私は他者に対するこういった思い込みが
世界中で大きなドラマを生み出しているのを感じています。
これを少しでもなくしたいからなるべくシンプルに伝えようと努力します。
だから言葉にこだわります。
きちんと付き合っていくためにはかなりのエネルギーを使います。
私はそれを面倒とは思いません。
ずっとそうやって生きてきました。
友人に聞いてもらえばわかりますがかなり凄いと思う。
どこかネジが抜けてるのか知れない。
本気で相手に伝えようと
本気で人とコミュニケーションとろうとすると
わかりやすい言葉になるはず
楽しいことばかりではない、
辛いことのほうが多いかも知れない
だけど現実には、自分とばかり会話してる人が多い。
だから世界は行き詰ってしまう。
閉じ込められてしまう。
追伸
ブログというものはロムする側からみれば
普段コメントされる方のイメージで固まる傾向があります。
しかし、実際はほとんどロムの方ばかりです。
普段コメントされない方からメールいただいてよくわかるのですが
ぶっ飛びブログにもかかわらず、驚くほど皆さん暖かい気持ちを送ってくれます。
こんなにも褒められていいのだろうかと照れることもあります。
シンプルで暖かい気持ちがすっと伝わってきて非常に嬉しく思います。
ふるいちまゆみはこういう方たちに支えられているんだなと、
ブログやってて良かったなと、素直に子供のように嬉しい。
by mayufuru
| 2008-07-13 14:48