「ありのまま」
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昨日一番、意味があった共時性はアボガド事件。
ホログラムを考える中でどうやっても通常ありえない
いわゆる超常現象というものが登場してくる。
この超常現象もホログラムで考えればどうやら謎が解けてくるらしい。
アボガドの種がなかった理由を探し出せばいくつもあるはず。
だけどホログラムを考えている最中に起きた種無しのアボガドは
この前の川の逆流と同じで何かを伝えようとしていると思う。
でもアボガド事件の一番はなんといっても
無意識下で種がないことを知っているかのようにスパッと包丁を入れたこと。
あるいはまったくアボガドというものを知らないで包丁を入れたか。
普通に考えれば、すでに知っていた。
これは例のビー玉投げと同じ。
写真をみるとわかるように
種がないことに気がついたのは切った半分の皮をむいてから。(笑い
面白いな。
ここでふと思い出したのが「ありのまま」の言葉。
世間でいわれる「ありのまま」の意味がわからなくて
私が考える「ありのまま」を何度か書いたことがある。
ホログラムを勉強するうちに前に書いたものが結構いい線行ってるかなと。
世界の認識その2
世界の認識その3
ホログラムを考えれば考えるほど
世間で言われる「ありのまま」の意味が益々わからない。
またプリブラムだけれど、
プリブラムの視覚に関する初期の研究で、
猿が視神経を通じて受け取る情報は
そのまま視覚中枢へと直接伝えられるわけではなく
脳内の他の部分を通ることが判明した。
そして数多くの研究によると
人間の脳も同じように
脳内に入る情報は視覚中枢に送られる前に
側頭葉で編集されるそう。
目に入ってくる情報に基づいているものは
わずか50%にも満たないとの研究もいくつかあるそう。
ということは、50%は脳がみていることになる。
これっていわゆる「思い込み」ですよね。
じゃ、90年代に体験した夢の「みる」は一体なんだろう?
この夢の意味することは大きくそのあと友人たちと勉強会をしたほど。
(本にしようと思って童話風の物語にもしてあります。)
つづく