閉じ込められた神が動きだした? その36 (イノシシ、牛、丸に三)
|
先月25日に関西に丸い輪が出てからこんなことがありました。
9月
27日 兵庫県三田市のJR福知山線三田-道場駅間で電車とイノシシが衝突
三田市で8月から9月にかけて牛が切られる事件が多発、27日だけでも11頭が切られる
29日 宮崎県五ケ瀬町桑野内の牛舎のサイロで4人が倒れる。(一酸化炭素(CO)中毒)
10月
4日 兵庫県伊丹市御願塚(ごがづか)4の御願塚古墳で男子生徒(14)が殴られ意識不明の重体
4日 岩手県二戸市金田一長川の座敷わらしの旅館「緑風荘」が全焼。従業員と家族9人は全員無事
4日 熊本県城南町の九州自動車道上り線緑川パーキングエリアで、郵便物10トントラックが炎上全焼
熊、ハチ、馬、豚、犬、蛇、魚(アユ、コイ、ウナギ)と続いてきて今度はイノシシ、牛。
三田、宮崎、伊丹、岩手、熊本と重要な地ばかり。
・三田市、電車とイノシシ衝突
3
イノシシ
鉄つながりで鉄道
船(乗り物)と電気つながりで電車
にょさんによると近くには鏑射山、
聖徳太子開基の鏑射寺(境内に弘法大師が掘った獨鈷水の井戸)があるそう。
鏑射山でまたもや弓。
聖徳太子で太子町つながり
またもや空海
そして井戸つながり
・三田市、牛が切られる事件(これは詳細不明)
3、11
牛といえばスサノオ、
三種の神器のツルギ、そして鉄つながり?
スサノオとツルギ、鉄なら合う。
三田市は例の関西の丸い輪の中、時期も同じ
三田市といえば、三、九鬼、酒垂神社。(三田市は2件記事を書いてます。)
丸い輪の中に三を書けば家紋、神紋だ。
偶然umeさんがコメントに入れてくれてるのが八角形に三の「三島大社」
・宮崎県五ケ瀬町桑野内
5、4、1
桑があるから養蚕が盛んだったのかな。
近くに古戸野神社
蘇陽峡、舟の口水源、馬見原、神の前の地名
舟と馬と蘇の渡来人でしょう。
神の地名があるからここにも鉄があるかも。
・伊丹市御願塚(ごがづか)4の御願塚古墳
4
伊丹市は三田市の南西
北東には箕面(箕面は4件記事を書いています。)
御願塚古墳の近くに南神社、北西に須佐男神社
伊丹市は丹で水銀かな
ここも丸い輪の中
・岩手県二戸市金田一長川の座敷わらし旅館「緑風荘」
2、1、9
馬渕川、船越山で馬と舟の渡来人でしょう。
金田一ってあの金田一さん?
金が採掘されたんでしょう。
緑風荘で参議院「緑風会」を想起。
東北は続くね。
・熊本県城南町の九州自動車道でトラック炎上
9、10
熊本が続く
岩手も熊本も緑の字が。
スマトラの地震では9が7~8コもあった。
スマトラには「ス」、「マ」、「マト」、「トラ」、
サモアには「アサ」が含まれる。
半島の文化、言語に詳しいゆーりさんからメールがいくつか届きました。
普段こういう機会はないのでちょうどいい機会なので紹介します。
個々の判断でお読みください。
.....................................................................................................................................
From:
Sent: Sunday, September 27, 2009 5:50 PM
To: info@
まゆみさん、こんにちは。
初めてメールさせていただきます。
・・・・・
「トーテム」の件ですが、あくまでも私見で、まゆみさんがよく仰られる「ぶっとび」(でも、体が重くって「全然とべてない」ですが)です。だいたいmayoさん史観に賛同しています(しかし、ツランだとか、スキタイ、だとか、ダン族、だとか、ヒッタイトだとかではなく やはり、「朝鮮人」だと思っています)。
動きだそうとしている神々は、これまで日本を支配してきた人たちが封じ込めた神だと思います。ずばり、高句麗(あるいは北朝鮮、満州、渤海)とその周辺部族の関連だと思っています。
よく勉強していないので、上っ面をなめての単なる直感ですが。馬、豚、牛、鳥、犬、鹿、熊、虎といったトーテムのある部族(神々)間の葛藤がそのまま反映されてきているではないだろうか?ということです。高句麗とその周辺部族のトーテムについてはMayoさんがご自身のホームページで詳しく書かれています。
「朝鮮半島南端 → 九州」との交流以上に活発でルートがいくつもあったと思います。九州であれば、たぶん「鹿」児島が鹿(扶餘:百済)で「熊」本が熊(檀君 古朝鮮)です。
ところが、中部・山陰だと、より日本海側になりますから「鳥」取が鳥(高句麗)です。「出雲」は島根県ですが、鳥取にも近い。鳥取は昔は、「伯耆国(ほうきのくに)」と呼ばれていて、やっぱりこの「伯」がポイントだと思います。だから「鳥取」は「出雲」で、「天降」=「あまふる」=「アムール」で、やっぱり高句麗です。
「伯」は「律令制で、神祇官の長官」。「耆」は「老」だから 年長者。目上の者。だから伯耆の国は神事を司っていた。で、鉄を生産していた。だから 神と鉄はつながっている。伯耆国造の祖は天穂日命で、天穂日命は神武天皇だと私は考えているので、やはり高句麗じゃないかしら
神武天皇は、朱蒙(チュモン)だと思います(爆)(すみません、どうしてもそっちに持っていきたいみたいです)。
それで、「鉄」といえば、今度は、素戔男尊(スサノオ)の 「スサ」ですが、「スサ」の「ス」は、朝鮮語の「スェ」(つまり、「セブリ」の「セ」)で、やっぱり「鉄」を意味しているそうです。日本語だと朱砂で、セブリ祭りでは、「土鉄」で、赤土ですね。「赤」は「朱」だから、おんなじなんじゃないでしょうか。
「2009蔚山(ウルサン)セブリ(製鉄)祝祭:蔚山広域市(ウルサンクァンヨクシ)北区(プック)」
http://ni-korea.jp/about_korea/tphoto/index.php?id=20090520
それでは、また。ありがとうございました。
ゆーり
.....................................................................................................................................
以上。
そしてゆーりさんの9月28日のコメントを読むと
韓国の蔚山(ウルサン)でセブリ祭りというのがあって
韓国語のセブリとは、「鉄鉱石から鉄を抽出して、精錬すること」だそうです。
サンカのことをセブリというなら語源はそもそもこれじゃないか、とゆーりさんは言われてます。
そして佐賀県神埼市脊振町背振山には自衛隊のレーダー基地があるそうです。
(*私が以前重要な場所には自衛隊の基地が多いと言ったことを後押しするもの。)
私は以前こう書きました。
”古代に鉱物を求めてこの国にやってきた人々は
目印として鉱脈がある場所に神の字をつけた。
そしてそういう場所に神社や寺を建てた、”と。
ゆーりさんもそれに賛同のようです。
それから9つながりでまた箕面の登場です。
.....................................................................................................................................
■Commented by 森の民エリヤ at 2009-10-03 20:54 x
地元箕面で約140年ぶりに箕面富(みのおのとみ)が復活することになりました。
宝くじの起源「箕面富」秋まつりで復活へ
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090919/trd0909191139007-n1.htm
>護符には代々の住職が口頭で受け継いできた「秘法中の秘法」とされる祈とうを、朝昼夜3時間ずつ7日間繰り返す計63時間の“祈り”が封じ込められる。
9+9+9+9+9+9+9=63時間
封じ込めるのにこんな時間掛かるって一体何だろう
ちなみに秋祭りは来月です。読者の方々の地元でも「復活する・改められる・新しく始まる」なんて動きが起きているかも知れませんね。
...................................................................................................................................
追記
忍者さんが「瀬降り物語」という映画が昔あったことを思い出し、リンクを送ってくれました。
『瀬降り物語』 監督 中島 貞夫
『瀬降りと呼ばれる定住地を持たない漂泊の民の生活を描くなかで、邦画には珍しい大きなスケールと様々な問題提起を含む中身の濃い作品となった。・・・・・彼らの生活を支えているのは、ハタムラという掟であり、そのハタムラを権威づける、太陽(アヌさん)を頂点とする自然への信仰である。彼らにおいてハタムラは絶対であり、それを守り維持していくために親分(ヤゾウ)の存在を置いている。ヤゾウは、オオヤゾウの下、各瀬降りたちがハタムラを守り、維持させていくために働く。ハタムラ破りに対しては厳しく処罰するが、ハタムラを守る瀬降りたちには相談役であるだけでなく、直接に生活を援助し、保護してくれる頼もしい存在である。それゆえヤゾウは、ハタムラの権威を体現していなければならない。
ここに集団支配における権力と権威の問題が浮びあがってくる。権威を伴ったハタムラによる支配は、支配というより統治であり、彼らにとっても必要な事柄であるが、その一方、日本国という国家は、彼らにとって単なる権力機構に過ぎない。・・・・・また、この作品には、ハタムラという厳しい戒律を持ち、自然への信仰を持つ彼ら瀬降りの素朴さと純真さが、その生活様式の原始さゆえか卑しいと差別する一般平民との対照のなかで鮮やかに描かれている。・・・・・』
http://wwwd.pikara.ne.jp/magarinin/1985j/04.htm
愛媛県舞台の映画「瀬降り物語」
http://www.yajyu.com/cinema/cinea9.htm
by mayufuru
| 2009-10-06 13:52