閉じ込められた神が動きだした? その12 (美作市)
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美作市は「ミマサカ」と呼ぶそうです。
ミマサカ、いかにもな名前。
宮本武蔵の生誕地だそう。
美作市、何か調べ足りないと思ってたら、「美作国」だということがわかった。
市町村統合で名前を変えることには最初から反対なんだけど、
こうやって調べているとつくづく市町村統合は
過去の歴史を更にわからなくするための策略もあるんじゃないかと思う。
ざっと検索しただけでも、「美作国」はかなり凄そうな地です。
神社も古いし、出雲大社の造りに似ている。
司馬遼太郎も『因幡・伯耆のみち』を書くために歩いているようです。
美作国、津山藩の城下町津山から中国山地、鳥取県智頭町の早野(ワサノ)、
千代(センダイ)川を北上、因幡国庁跡、鳥取市、その後白兎海岸、
伯耆国の倉吉、米子、美保関の美保神社まで。
「美作国の神社」に
同じ日に丹後国・美作国・大隅国が誕生していると書かれてある。
2000年前から神社名、所在地が変わらない数少ない神社の一つといわれる
天石門別神社(あまのいわとわけ)という名前の神社があった。
美作国の高野神社と中山神社 猿神退治
昔、美作の国に中参〔ちゅうさん=中山神社〕・高野〔高野神社〕という神社があって、
その神社のご神体は中参が猿、高野が蛇。年に一度の例大祭の時に生け贄を
供える習慣があって未婚の娘を差し出すことになっていたが、ある日、
犬山の男がこれを救い、その後娘を使わないで猪や鹿を供えるようになったとか。
その中山神社の
祭神は鏡作神
相殿は天糠戸神、石凝姥神
鏡作神って聞かない名前だね。
奈良の唐古遺跡の周りに鏡作神社があるそう。
中山神社で検索すると、
下関市綾羅木本町の中山神社(愛新覚羅社)が出てきた。
次回のカタカムナの暗号考察で愛新覚羅が出てきたばかり。
高野神社で高野山を想起。
写真みたらお寺に似ているなと思ったら
寛文3年(1663)に再建したそうでこのときに寺院の力が入ったのかも。
美作市には神場(かんば)集落、神場の滝もあって朝鮮半島を強く感じる。
神戸ってこの神場(かんば)が由来かな?
資料として
美作國風土記神名抄 美作國一百十二社記
ミマサカで変換すると「三間坂」が出る。
調べると佐賀県にあった。
伊万里・有田に近い。
三だ。
三間坂:佐賀県武雄市山内町大字三間坂
緯度 33度11分43.42秒(33.195394)
経度 129度56分49.15秒(129.946987)
三間坂でも先月の大雨で土砂崩れがおきていた。
検索すると
三間坂鎮守大神社石橋、三間坂の浮立 という不思議なものがあった。
市重文指定の三間坂荒踊りもヒット。
次に武雄市で検索。
Wikipediaによると、
2006年に隣接する山内町・北方町と合併し武雄市となったとある。
またもや合併、重要な場所ほど隠すために合併してることってない?
山岳は、八幡山、眉山、神六山、虚空蔵山、黒髪山、
河川は、六角川、汐見川、山中川
六が二つも出てきた。
八は何処にでも出てくるね。
武雄市内の神社は62。
天神社、天満宮、天満神社と、天の名のつく神社が多い。
古社すぎて創祀年代が不詳、磐座信仰の「黒髪(くろかみ)神社 」。
黒髪山、黒髪神社が有名なのかな。
黒髪山には西光密寺という寺も。密教かな?
次に武雄で検索。
武皇統八代孝元天皇の孫、武雄心親王の名がヒット。
皇室系譜でみると神武の流れに武雄心命が出てくる。
武雄神社
奈良時代の735年創建、
主神は武内宿弥、仲哀、応神両天皇、神宮皇后武雄心命を弊祀
五社大明神ともいわれ、九州の宗社として隆々と栄えた時代もあった。
神社の裏に「城山稲荷神社・塩釜神社」という名の小さな社がある。
宗だ。
「武雄軍団秋田を駆ける」「戊辰(ぼしん)戦争がヒット。
【佐賀藩武雄領は、東北諸藩の中で唯一、新政府軍として参戦した秋田藩を支援するために当地に赴き旧幕府軍と戦った。】
秋田といえば、これも前回のカタカムナ暗号解読(秋田の象潟)につながる。
ミマサカでこんな掲示板がヒット。
【そこから「坂」という古代人がすきな音の意味が、しだいに姿を現してきたようで、ミマサカまではあとひと息です( mi ma = 神へ)。】
http://kamnavi.jp/aodanwa.htm
ここにも暗号解読の「マ、ma」が。
「ア」つながりでもあるこの連載記事。
「アラ」、「アサ」、「アナ」、「アソ」、「アワ」、
麻生さんの「アソウ」はアサとアソを兼ねている。
中国地方はやはり特別、特殊な地なのかも知れない。
神社から独特な雰囲気を感じる。
by mayufuru
| 2009-08-11 20:10