ボームの内に秘めたる秩序
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これは3年前に別のところで書き込んだものですが
ちょうどいい機会なので載せておきます。
ボームの内に秘めたる秩序
ジョン・ホーガン「科学の終焉」よりの引用です。
「秩序とか構造といったような基本的な概念が、知らず知らずのうちに私たちの思考を縛りつけてしまっている。新しい種類の理論には、新しい種類の秩序が必要になってくる」。「基本的な概念は依然として同じもの、つまり、座標によって記述される機械論的な秩序なのだ」とボームは言った。
現代の物理学者は、自然の力が現実の本質だと思っている、と彼は指摘した。「しかし、なぜ自然の力があるのか?自然の力は、それがわかってこそ、本質と言えるのだ。原子は究極の本質ではなかった。それならば、なぜ力が本質でなければならないのか?」。彼はドライな感じでちょっと笑った。「同じように、これが終わりだとするあなたの考え方が、更に深く物を見る障壁になってしまうんだ」。
現代の物理学者の最終理論についての信念は、単なる自己達成的なものでしかない、とボームは言う。「もし、あなたが魚を水槽に入れて、その中にガラスの障壁をおいたら、魚は障壁に近づかないようになるだろう。そして、ガラスの障壁を取り出しても、魚は依然としてその障壁のあった場所を避けていて、世界全体がそういうものだと思ってしまうだろう」。
彼は、これからの科学者は、現実をモデル化する際に、数学にはあまり頼らないで、隠喩と類比の新しいよりどころを探るようになるだろうという観測を示した。
他の多くの科学的な夢追い人のように、ボームも、科学と芸術が融合するだろうと期待していた。「芸術と科学の区別は一時的なものだ」と彼は考えていた。「こんな区分は過去にはなかったし、未来も続くという保証はない」。「今までと違うように理解し、考える能力のほうが、知識よりもずっと大切なものだ」とボームは説明した。科学がもっと芸術的なものになって欲しいとするボームの希望には、ハッと思わせるものがあった。大方の物理学者は、皮肉にも、芸術的な見地からボームのパイロット波解釈に異議を唱えていた。美しくないから正しくないに違いない、と言うのだ。
「知られているものには、すべて、おのずから限界がある。その限界とは、量的なものではなく、質的な意味における限界だ。理論というものは質的なものであって、量的なものではない。だから、限界がないといっても差し支えない。・・・」
ボームは1986年に亡くなった、インドの神秘主義者クリシュナムルティの友人でもあり、弟子でもあった。クリシュナムルティ自身は、悟りに達したのだろうか?と訊くと、「ある意味ではそうだ」とボームは答えた。「彼の基本は、思考を推し進めて、その最後まで完全に会得することだった。そこで、思考が異なる種類の意識に浄化するのだ」。もちろん、誰も本当に自分の心を測り知ることはできないだろうと、ボームは言った。
僕は、最後に、ボームと彼の奥さんにさよならを言って別れた。家の外は小雨がぱらついていた。僕は、町の通りを歩きながら、ふとボームの家を振り返った。そこには、質素な白い塗料を塗った小さな家々の町並みの中に、一軒の質素な、やはり白いボームの家があった。ボームは、それから2ヵ月後、心臓発作で他界した。
ちょうどいい機会なので載せておきます。
ボームの内に秘めたる秩序
ジョン・ホーガン「科学の終焉」よりの引用です。
「秩序とか構造といったような基本的な概念が、知らず知らずのうちに私たちの思考を縛りつけてしまっている。新しい種類の理論には、新しい種類の秩序が必要になってくる」。「基本的な概念は依然として同じもの、つまり、座標によって記述される機械論的な秩序なのだ」とボームは言った。
現代の物理学者は、自然の力が現実の本質だと思っている、と彼は指摘した。「しかし、なぜ自然の力があるのか?自然の力は、それがわかってこそ、本質と言えるのだ。原子は究極の本質ではなかった。それならば、なぜ力が本質でなければならないのか?」。彼はドライな感じでちょっと笑った。「同じように、これが終わりだとするあなたの考え方が、更に深く物を見る障壁になってしまうんだ」。
現代の物理学者の最終理論についての信念は、単なる自己達成的なものでしかない、とボームは言う。「もし、あなたが魚を水槽に入れて、その中にガラスの障壁をおいたら、魚は障壁に近づかないようになるだろう。そして、ガラスの障壁を取り出しても、魚は依然としてその障壁のあった場所を避けていて、世界全体がそういうものだと思ってしまうだろう」。
彼は、これからの科学者は、現実をモデル化する際に、数学にはあまり頼らないで、隠喩と類比の新しいよりどころを探るようになるだろうという観測を示した。
他の多くの科学的な夢追い人のように、ボームも、科学と芸術が融合するだろうと期待していた。「芸術と科学の区別は一時的なものだ」と彼は考えていた。「こんな区分は過去にはなかったし、未来も続くという保証はない」。「今までと違うように理解し、考える能力のほうが、知識よりもずっと大切なものだ」とボームは説明した。科学がもっと芸術的なものになって欲しいとするボームの希望には、ハッと思わせるものがあった。大方の物理学者は、皮肉にも、芸術的な見地からボームのパイロット波解釈に異議を唱えていた。美しくないから正しくないに違いない、と言うのだ。
「知られているものには、すべて、おのずから限界がある。その限界とは、量的なものではなく、質的な意味における限界だ。理論というものは質的なものであって、量的なものではない。だから、限界がないといっても差し支えない。・・・」
ボームは1986年に亡くなった、インドの神秘主義者クリシュナムルティの友人でもあり、弟子でもあった。クリシュナムルティ自身は、悟りに達したのだろうか?と訊くと、「ある意味ではそうだ」とボームは答えた。「彼の基本は、思考を推し進めて、その最後まで完全に会得することだった。そこで、思考が異なる種類の意識に浄化するのだ」。もちろん、誰も本当に自分の心を測り知ることはできないだろうと、ボームは言った。
僕は、最後に、ボームと彼の奥さんにさよならを言って別れた。家の外は小雨がぱらついていた。僕は、町の通りを歩きながら、ふとボームの家を振り返った。そこには、質素な白い塗料を塗った小さな家々の町並みの中に、一軒の質素な、やはり白いボームの家があった。ボームは、それから2ヵ月後、心臓発作で他界した。
by mayufuru
| 2009-06-14 15:05