世界を支配する王 その34
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9章は訳してないので飛ばします。
『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm
yasuさん翻訳による10章です。
yasuさんが『enlightmentは覚醒としてあります。
難しいから間違っている所もあると思います。』と言っております。
10章 シャンバラの攻撃的神話
ADI BUDDHAの、というよりChakravartinの役割は、Kalachakraタントラの一般用語で議論されるものではなく、 「Shambhalaの神話」の中で、Timeタントラが具体的な政治目的を示している。この神話の中では、世界君主の権限、彼の国家の設立と管理について、彼の軍の組織そして、惑星の征服の戦略的なスケジュールについての声明がなされている。しかし、最初にShambhalaの神話はどう正確に理解されるべきか考えてみよう。
伝説によると、歴史上のブッダShakyamuniは、Shambhalaの王SuchandraにKalachakraタントラを教え、秘密の教義に引き入れた。原文は、12,000節を含む。それは後に失われたが、要約したバージョンは残っている。 我々がTimeタントラの基本的にきまぐれなカレンダーを使うならば、ShakyamuniとSuchandraの遭遇は紀元前878年におこった。教示が行われたのは、南インドにあるRajagriha(Rajgir)そばにあるVulture Heap山に近いDhanyakatakaだった。Suchandraが指導を求めたので、ブッダ自身はKalachakraの型をまとって多くのBodhisattvasと神々が囲んだライオン玉座から彼に説教した。
*ブッダShakyamuni=SHAKYAMUNI BUDDHA (サキャムニ(しゃかむに)ブッダ / 釈迦牟尼仏)
Bodhisattvas=菩薩 (まゆみ解釈)
Suchandraは、Shambhala(インド北方のどこかにある伝説的な王国)の王として支配した。彼はDhanyakatakaでイニシエーションをうける時には、ひとりではなく、 96人の将軍や地方の王と知事からなる宮廷随行団を連れて行った。イニシエーションを受けた後、彼はタントラの教えを帝国(Shambhala)に持ち帰り、国教とした;他のレポートによると、これは7世代後に起こったという。
Suchandraは覚えていたKalachakra Mulatantraを記録し、包括的な解説を作り上げた。彼の後継者(Manjushrikirti) のうちの1人はKalachakra Laghutantra(原作の説教の概要)として知られている要約版を書いている。この1000節からなるテキストはまとまったまま残っていて、今日でも中心テキストとして用いられている。 Manjushrikirtiの後継者(Pundarika王)は、Vimalaprabha(『汚れない光』)の名前で、 Laghutantraの詳細な解説を書いた。これら2つのテキスト(Kalachakra LaghutantraとVimalaprapha)は、マハSiddha Tilopaによって10世紀にインドに持ち帰られ、そこから「雪の土地」 と呼ばれるチベットに100年後たどり着いた。しかし、原文 Kalachakra Mulatantraの断片だけは生き残っていて、Sekkodeshaと呼ばれる最も重要な断片は、Maha Siddha Naropaにより注釈されている。
Kalachakraの教えが国教として実践されたShambhala王国は、ちょうど最初の統治者Suchandraがそうであるように、大きな秘密に包まれている。彼は、Bodhisattva Vajrapani、「オカルト知識の支配者」の化身と考えられている。何世紀もの間、チベットのラマ僧は不思議の国を故意に不可解な物にしてきた、つまり、彼らはそれが存在するかしないかの問題を未解決のままにしてきたので、人々はそれは存在するが、存在しないと逆説的に言わなければならなかった。それは精神的な帝国であるので、その境界はKalachakraタントラの秘密の教えを授けられた人々によってのみ超えることができる。普通の死を免れることのない者の目には見えないので、何世紀もの間、Shambhalaの地理学的位置については的外れな推測がされてきた。「具体的な」条件として知られている全ては、 北インドの「Sitha川の向こうで」で見つかるに違いないということだけだ。。しかし、だれもこの川の名前を地図で発見していない。このように何世紀もの間ずっと、多くのShambhalaを探す者たちは、カシミールから北極との間に至るすべての考えられる地方を、その候 補に挙げてきたのだ。
その地域を探し求める研究において最も広範囲にわたって優勢な意見は、今日のタリム盆地(TarimPendi)の砂漠である。多くのラマ僧は、それはまだそこに存在しているが、不思議なカーテンによって好奇心に満ちた目から保護され、うまく守られていると主張している。確かに、Kalachakraタントラで見ることができる融合的要素は、テキストがタリム盆地を通り、古代シルクロードの多くの文化を横切ってやってきたものであるという見方を証明している。そして、ほぼ円をなして大地を囲む一続きの巨大な山脈は、Shambhalaと地勢的に一致している。
一般的に、シャンバラ神話の地図はマンダラに似ていて、数多くの複製もある。 それには8つのスポークを持つ車輪の形があり、それは8枚の花びらのハスと一致している。花びらの各々は行政区域を作っている。 そこでは知事が最も高い当局者として支配する。彼は、それぞれの「ハス花びら」の上にある、少なくとも1億2000万人を抱える村の総督である。 Shambhala は、このように合計9億6000万の居留地を所有している。全土は、かろうじて登れる、雪を頂いた山々のリングに囲まれている。
山々に囲まれたその中央に、Kalapa という名前の国の首都がある。夜になると光の都市は日中と同じくらい明るく照らされ、そのためもはや月を見ることができない。そこではシャンバラ王が、考えうるあらゆる宝石とダイヤモンドから作られた宮殿に住んでいる。建築は、天国の法律に基づいている。太陽寺院と月寺院、そして十二宮と星の軌道のレプリカがある。宮殿の少し南方に、訪問客は素晴らしい公園を見つける。その中で、Suchandraは KalachakraとVishvamataの寺院を建設するよう命じた。それは、5つの価値ある材料から作られている:金、銀、ターコイズ、珊瑚、真珠で、基礎設計は、Kalachakra砂マンダラと一致している。
Shambhalaシャンバラの王と管理
Shambhalaのすべての王は、その継承してきた王朝に属している。歴史上のブッダは初代摂政SuchandraにTimeタントラの秘伝を授け、その王朝には国の運命を決定した2つの国王家がある。 最初の7人の王は、彼ら自身をDharmaraja(法律の帝王)と呼ぶ。彼らは当初、 Buddha Shakyamuni,(Shakyas)と同じ血統を引いていた。第2の王朝の以下25人の帝王は、「Kulikas」または「Kalkis」である。これらの統治者は、それぞれ正確に100年間支配する。将来の摂政の名前もすでに記されている。テキストは、現在誰が領域を支配しているかについて必ずしも一致していないが、Aniruddha王は最も頻繁にその名を挙げられ、1927年に権力をとり、2027年にそれを終えると言われている。 Kalki王朝の25人目の子孫が就くとき、偉大なる光景が世界を待っている。彼が、Rudra Chakrin(憤った車輪旋盤工)である。2327年に、彼は王座にのぼる。彼を詳細に調べてみよう。
インドのMaha Siddhasたちの様に、Kalkisたちは長い髪を結び目で縛っていた。同様に、彼らはまたイヤリングと腕章で身を飾っている。「Kalkiは、優れた大臣、将軍、数多くの女王を持っている。彼は、ボディガード、象と象のトレーナー、馬、二輪戦車と輿を持っている。彼自身の富とその富たる臣民、彼の魔法の呪文(spells)そしてやナーガ、デーモン、 彼に貢献するゴブリンなどの力がcentaurs(ケンタウルス)によって与えられ、彼の食物は、神々の王でさえ争うことができないほどの素晴らしいものだった。…Kalkiには1人または2人以上の相続人を持たないが、毎年Caitraの満月に行われるイニシエーションの間vajraの女性として与えられる、多くの娘がいる」(ニューマン、1985、57ページ)。これは、彼女らがKalachakra儀式のムドラーとして用いられるように見える。
Shambhalaの統治者は専制君主で、世俗的で精神的な国家に対しておもうがままの全面的力がある。彼は「階層的なピラミッド」の頂点に立っていて、 Buddhocracyの基盤は、摂政の命令を実行する何百万もの総督、知事、役員らの軍から構成される。
彼は精神的な統治者としてのADI BUDDHAの象徴(代理)であり、「世俗的」支配者としてのChakravartinである。彼は金色の王座に座り、8匹の彫刻されたライオンに守られている。彼はあらゆる願望をかなえるという宝石と、彼の国や地球上のすべてを見通して支配することができるという魔法の鏡を手に持っている。何も、彼の注意深い目から逃れることはできない。彼は、あらゆる人の魂の最も奥深いところを調べる能力と権利を持つ。
Shambhala領での性の役割は典型的なものだ。男性中心的な国の政権を動かすのは男性だけだ。女性の役割について我々が耳にするのは、皇太后?王座の相続人の運び手として、そして「知恵の配偶者」としてという事だけだ。「タントラ経済」という国家予算として生命的な資源の貯蔵所を作りあげ、彼女たちの「gynergy女性的なパワー」を、公式な性的魔法儀式によって政治的パワーに変えて供給している。 単独で、支配者には100万人の(!)女子がいて、 「8日の月の若さ?」も彼のパートナーとして利用できる。
国家最高エリートは、タントラ聖職者によって作られている。僧侶全員が白い服を着て、サンスクリット語を話し、Kalachakraタントラの神秘的秘技を受ける。彼らの大多数は覚醒している考えられている。 そして次には戦士があげられる。王は同時に軍の最高指揮官で、その軍隊は将軍を頭に強力な将校団と従順な「下級者たち」を従え、規律正しく非常に有能なものだ。最も効果的で「最新の」破壊のための武器が、Shambhalaの広範囲な武器庫に保存されている。しかしながら ? 我々が後で見るように、 ? 軍隊は、300年の時間をおいて、2327C.E.年に動員されるだけである。
Shambhala 王の全体主義権力は、彼の国の住民だけでなく、同様に我々の惑星「地球」のすべての人々の上におよぶ。フランスのKalachakra熱狂者(Jean Riviere)は、以下のように仏教専制君主の包括的能力を解説している:「宇宙の支配者として、世界の皇帝として、人々の命を統制するように宇宙秩序を統制する、強力で微妙なエネルギー流の精神的な摂政として、ShambhalaのKulika[王]は、重く盲目の物資[宇宙]の中に生まれた人間大衆の精神的な発達を指示している」(Riviere、1985、36ページ)。 [1]
「太陽二輪戦車」のリシ
すべての統治者の名前が知られているが、Shambhala領には現実的な歴史がない。それゆえ、その存在するという多くの世紀の間、年代記に記録されるのに値するような事はほとんど何も起こらなかった。対照的にBuddha Shakyamuni が彼の生涯における一連の歴史的と事実と残された数多くの伝説を考えてほしい!しかし、この国が歴史的対立からまったく自由だったわけではなかったことを示す事実がある。これは、 賢明なSuryaratha(「太陽二輪戦車」)によって導かれる、3500万もの(!)一群のRishis(見る者)の反抗に関するものだ。
この事件は、おそらく2つの宗教的な教えの対立に関したものだ。Rishisたちは太陽だけを崇拝する。この理由のために、彼らはそのグルを「太陽二輪戦車」(suryaratha)と呼ぶ。しかしKulika王はKalachakraのマスターで宇宙的な両性具有者として、両方の天球を彼自身の中に結合した。彼は、太陽と月のマスターであった。Rishisに対してKalachakraタントラの教えを採用するという彼の要求は、満月の夜にも課された。Manjushrikirtiは、次の語で彼の説教を終えた: 「あなたがその道に入りたいならば、ここで止まりなさい、しかし、あなたがそうしたくないのならそのままどこかへ去りなさい;さもなければ、野蛮人の教義がShambhalaに広がるだろう。」(バーンバウム、1980、234ページ)。
Rishisたちは、後者に決めた。 「みんな太陽二輪戦車に忠実なままでいたいし、我々の宗教を放棄して、違うものに加わりたくない」彼らは再び集まった(Grunwedel、1915、77ページ)。これは、すでに概説されている脱出に終わる。しかし、彼らを連れ帰る際、Manjushrikirtiは彼の魔術的優勢さと、「太陽と月の軌道」が「純粋な太陽方法」より強いことを証明した。Rishisたちはこうして彼に多くの金の賛辞をもたらし、彼の力とKalachakraタントラの優越性を受け入れた。月の第15の夜には、彼らに覚醒が授けられた。
この独特のShambhala事件の歴史の後ろには、かろうじて気がつく政治力学的なモティーフを隠れている。 見る者(the Rishis) はその名前が明らかにBrahmansをあらわしている;彼らはエリートの聖職者カーストのメンバーだった。対照的にManjushrikirtiは聖職者-王として、彼の執務室で、聖職者と軍のエリートのエネルギーを集積した。彼は、彼自身の中で世俗的な力と精神的な力を結びつけ、? 我々がすでに議論したように、 ? インドの文化的な球面それぞれに、太陽(聖職者)と月(戦士王)として割り当てた。彼の中の両方の天球の結合は、彼を絶対の統治者にした。
将来のShambhala領域の軍事計画のため(少し後で解説するが)、王と彼の後継者は、常備軍を強化することにとても興味を持っている。それから、Shambhalaは数100万の軍を待ち構えている戦いのために必要としするが、何世紀もの間この神話の国で事はおこらないだろう。このように、軍事的な東洋のBuddhocracy全体のすべてのカースト制度区別を廃止することが、 Manjushrikirtiの関心の的だった。歴史上のブッダは、 将来のShambhala王をすでに予言していたと思われる。 「.. Vajra族を所有するのはKalki になることだ。そしてそれは4つのカーストをひとつのバラモンの家族にすることではなく、Vajra族内におけるひとつの一族にすることによってなる。」(ニューマン、1985、 64ページ)この「バジュラ家族」は、Shakyamuniの声明において、聖職者カーストと明らかに対比される。 いろいろなブッダの家族の中でも、それは軍事問題に対して責任がある人を表している。今日の西洋でさえ、高位のチベットのラマ僧はShambhala軍の将軍(!)として生まれ変わるであろうことを自慢し、 これはつまり、彼らがその精神的職務を軍のものに変えようと考えるということだ。
カースト制度の差別の撤廃の背景にある軍事的な意図は、Vajrayana仏教に従わなければ、国土は「野蛮人」の手に必然的に落ちることになるというManjushrikirtiの正当化でより明らかにされている。これらは ? 後に示すように? 巨大なShambhala軍隊に敵対しているイスラム教の支持者のことである。
Shambhalaへの旅
Shambhala探求者によって書かれる旅行報告は大部分保管されていて、我々はそれらが実際の経験か、夢か、想像か、幻覚連鎖か、秘技参入による進歩に関するものかどうかわからない。これらの区別を明白にしておく努力もなされていない。Shambhala旅行は、 単にこれらの全てをまとめて表している。
このように、人々が伝説的な国を捜して行った難しくて危険な冒険は、「王国自体でのタントラ瞑想の実現に至る方法に沿った、いろいろな神秘的な実行と一致している… Shambhalaを囲む雪山は世俗的な高潔さを意味し、中心の国王は旅を終えた純粋な心を象徴する。」(バーンバウム、1980、229ページ)。
このような解釈において、その時精神的な旅が起こる。反面これはShambha la’i lam yig?パンチェンラマ3世(1738-1780)の有名な旅行報告?のページをめくることで得られる印象ではない。この報告は素晴らしいコレクションとして、その事実の材料のリアリティーや、中央アジアからShambhalaに至る歴史的で地理的な詳細な道を確信している。
この「古典旅行ガイド」によれば、訪問客が不思議の国に入る時に通る景色や、そして辿らなければならない危険な冒険は、Shambhala(本当であるにせよ想像上のものであるにせよ)への旅行をタントラの秘技参入への道にしているという。これは、全ての旅の道程を制御するVajrayanaのように、女性の中心的対立において特に明白になる。ある絵画的な本は、 我々がタントラの環境からすでに知っている女性の像を何ページにもわたって描いている。文学的な気安さで、著者は最も甘く最もむごたらしい場面を描いている:豚の頭を持つ女神;イノシシに乗る魔女;血、内臓、目、人間の心臓で満たされた頭蓋骨を振り回すdakinis;甘露をしたたらせる胸を持つ蓮華と同じくらい美しい女の子;ハルピュイア(女面鳥身の怪物);銅赤唇の500匹の悪魔;水の妖精を好むヘビ女神はその1つを水の中で引き裂こうとする;一眼のEkajati;毒の調合者;サイレン(妖婦); 金色の体の裸の処女;女の食人種;女の巨人;馬の頭を持つ甘いアシュラの女;疑いのデーモン;熱狂の悪魔;さわやかなハーブを与える治療者 ? 彼ら全員は、不思議の国を捜そうと試みる勇敢な魂を待っている。
これらの女性とのあらゆる遭遇が征服されなければならない。あらゆるグループのために、パンチェンラマは抑止され、落ち着いた、受容的な儀式を準備する。女性の何人かは旅行者に追い払われ、他の者は尊敬を持って認められ、そして他の者はタントラの愛の中で結合しなければならない。しかし彼がその感情的に有力な支配をここで失うならば悲痛が彼をおそう!そして、彼らが美しいか恐るべきものに見えるかどうかに関係なく、彼はすべてのこれら「獣」の犠牲になる。完全なタントラの熟練者だけが、この女性の体のジャングルを通って、自分の道を追求することができる。
このように球体は、外部と内部、現実と想像力、 個々の人々の心の中の世界王と実際のゴビ砂漠の世界統治者、日常生活としてのShambhalaとおとぎ話のような夢としてのShambhala、これらの間を行き来し、すべては可能になる。ロシアの画家Nicholas Roerichが中央アジアでの旅行の際に、ある遊牧民にニューヨークの写真を見せたとき、彼らは叫んだ:「これは、 Shambhalaの地だ!」(レーリッヒ、1988、 274ページ)。
つづく
by mayufuru
| 2009-05-23 17:58