世界を支配する王 その29
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『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm
yasuさん翻訳による8章です。
8. ADI BUDDHA:彼の神秘的な体と彼の星の面
カーラチャクラのイニシエーションの中で最高ゴールが、ADI BUDDHAと呼ばれる精神的状態の達成である。1833年には、チベット学創設の研究家(ハンガリーのCsoma de Koros)は、Maha Siddha TilopaがNalandaの仏教大学の入門として定めたと言われている有名なKalachakraを、ヨーロッパの言語で始めて引用した。それらの中でも、ADI BUDDHAは最も高いものとして紹介され、他の全てはそこから現れる: 「彼が最高位の最初のブッダ(Adi-Buddha)知らないのであれば、時間の環(Kalachakra)を知ることはない。彼が時間の環を知らないのであれば、神の特質の正確な列挙を知ることはない。彼が神の特質の正確な列挙を知らないのであれば、最高の知恵も知らない。彼が最高の知恵を知らないのであれば、タントラの原則を知らない。彼がタントラの原則を知らないのであれば、そのような人々は生まれ変わりの世界の中で、そして最高の偉業への道から外れた放浪者である。したがって、Adi-Buddhaはすべての本物のラマ僧により教えられなければならない。そして解放を切望するすべての本物の弟子は彼らの話を聞かなければならない」(Koros、1984、pp. 21、22)。他のいかなるタントラも、KalachakraタントラほどADI BUDDHAについての考えを、教えの主要なものとしなかった。
ADI BUDDHAのことを、歴史上のブッダがニルヴァーナと称す最も高い精神世界の存在だと推量するのは誤りである。 我々がこの覚醒(ニルヴァーナ)の最終的な領域につながる3つの意識の出入口を調べると、これは明らかになってくる:(1)空虚(shunyata);(2)signless無相?(animitta);wish-less無欲(3)(apranihata)。
ニルヴァーナ raison d’etre of Buddhismは、これらの3つの出入口のために、言葉では定義する事が出来ないほど大きなものだ。我々はそれについて話すことができるだけであって、ことばで決して捕えることはできないし、概念的に把握するだけである。EdwardConze(仏教の著名な歴史家)は、 仏教著者がこれまでにこの宗教の最も高い精神的レベルを「描こう」 とした、たくさんの絵」を集めた。そのいくつかをここで引合いに出そうと思う:ニルヴァーナは、不変で、終りがなく、持ちこたえ、不死のものである。そしてそれは平和、休息、沈黙、解放、放棄、見えないもの、隠れ家、至福の善だ。
ニルヴァーナの非人間的な「特徴」は、このリストからすでに明らかになる。ニルヴァーナはこのように、ある状況下の人間のことではなく、むしろ意識の状態のことである。この理由のために、初期の仏教図像の中では覚醒したブッダの身体の描写が禁じられていた。ブッダがニルヴァーナへ入った後に、 彼は象徴的に描かれたのであり、決して物理的なものではない ? 例えば火の車輪や、また火の柱として、アーティストが彼の不在を「空の」王座として描くように。すでに空虚の中にある「崇高なOne」 は、視覚的に描写されることはできなかった。
したがって、ニルヴァーナは創造ではなく、創造の根本原因さえでなく、むしろ停止なのだ。それは活動ではなく、むしろ不活動である;目標へ向かう思考ではなく、むしろ無思考だ。それは意図がなく、 動機づけを知らない。それは命令することはなく、 むしろ静かなままである。それは公平で、関わりが欠如している。そしてそれは時間の外側にあり、性を持たない。仏教(神秘的な「明るい光」と同一の)の最初の歴史の段階では、それは均一ではないが、しかし ? 創造的な力、最も高く明るい光、行動、思案、動機づけ、命令 ? こういった事がADIBUDDHAにあてはまる。
ニルヴァーナとは異なり、ADI BUDDHAは性的に中立でなく、むしろ彼は心の中で性の両極性を集積したGreat Cosmic Androgyne?偉大なる宇宙の両性具有者?である。彼は彼自身から現れて、彼自身を通して存在しているので、彼には父も母もいない。彼は生まれもせず死にもせず、始まる事も終わる事もない。彼は最も高い幸至福であり、すべての苦しみから自由である。彼は色褪せることなく、完璧で、相対するものの崩壊であり、全体である。彼は、知恵と方法、形と無形、同情と空虚であり、彼は静けさと運動であり、彼は静止していてもダイナミックである。彼には、無数の名前があり、彼は全宇宙的な神、最高位の支配者である。彼に捧げられる古いイ ンドの賛美歌の歌詞にはこうある、
He is the ONE and proclaims the teaching of unity;
彼はONEであり、統一の教えを宣言します;
He stands at the summit of being.
彼は存在の極限のところに立っています。
He permeates everything; he is the infallible way.
彼はすべてに浸透しています;彼は絶対確実な道です。
He is the victor, one whose enemy is defeated,
彼は勝者であり、敵は破られ、
a conqueror, a world ruler who possesses the great powers.
征服者であり、列強を占有する世界統治者です。
He is the leader of the flock, the teacher of the flock,
彼は、群衆のリーダーで、群衆の教師です
the lord of the flock, the master of the flock, the wielder of power.
群衆の支配者であり、群衆のマスターであり、権力を振るう者です。
He has great power, withstands all burdens.
彼には大きな権力があり、すべての重荷に耐えます。
He does not need to be led by others; he is the great leader.
彼は他の者に導かれる必要はありません;彼は偉大なリーダーです。
He is the lord of speech, the master of speech,
彼は言葉の支配者で、言葉の達人です。
the eloquent one, the master of the voice, the eternal word.
雄弁なものであり、声の達人であり、永遠の言葉なのです。
(quoted by Gronbold, 1995, p. 53)
(Gr nbold、1995、53ページ)
我々は、仏教教育の歴史における興味深い分岐点に立っている。ニルヴァーナが名付けることのできない非人間的な、性のない空虚の代わりに、我々は突如、両性具有で万能の統治者に直面している。ニルヴァーナに住む仏像は全ての時間の外側にあり、対照的にADI BUDDHAは、Maha Siddha Tilopaのよると、時間神Kalachakraと同一である。「彼は時間の輪であり、同等のものもなく、不滅だ。」(Carelli、1941、21ページ)。「Primordial Buddha[ADI BUDDHA]は、時間の輪に、 創造と破壊のサイクルや、我々の存在を定める絶え間ない変化を生じさせる」とバーンバウムは語っている(Bernbaum、1980、127ページ)。彼はこそが「Kalachakraタントラの帝王」なのだ。
彼はタントラの秘密の全教義を知り、体と言葉と知識をコントロールし、あらゆる魔法の力を持っている。Kalachakraタントラは、幻想の支配者として彼を誉め称え、多くの幻影的な形を発している。このような力を発することで、彼は木を根こそぎにし、山頂をを揺るがすのだ」(Newman、1987、296ページ)。 彼はdharmaraja(法律の帝王)であり、教主としてすべての存在に命令する。彼は全宇宙の最高位にある裁判官として、神と人間を統轄する。救済を運ぶ者として、仏教の敵を打ち破り、その支持者を黄金時代に導く。ADI BUDDHAは仏教宇宙の中央にあって活動し、同時に彼自身から発散されている。それでも、 彼はヨギとして擬人化した人間の形として現れることもできるのだ。
哲学の理想主義の言葉でADI BUDDHAを説明するならば、「絶対の精神」、「絶対の個人性」、「絶対の自我」のようなフレーズを持ち出さなければならないだろう。彼はヨギの自我のipsissimus(秘密の首領)で、ヨギは性的な魔法の実行を通してそこに到達しようとする。イニシエーションの最後に、彼は誇りをもって一つのタントラテキストを叫ぶ:「私は、意識の空の中にある、自分自身の内に宇宙を現出させる。わたしは宇宙であり、そして創造者である。[…]宇宙は私の範囲内に溶解する。私は意識の偉大なる永遠の火の、その炎なのだ。」 (Dyczkowski、1987、189ページ)。
もちろんこれらの文は、個々の「自我」ではなく、 むしろ神聖な宇宙的存在の「超自我」を示している。
ADI BUDDHAの絶対の主観化と同様に、彼の意志は法であり、その力は限りなく、この至高の存在を偉大な宇宙の機械と見る変わった見解もある。万能のブッダはあらゆる歯車が他の歯車と結ばれ、すべてがかみ合っている時計仕掛けであると想像されたりもした。仏教宇宙発生論とそのコントローラのメカニズムは、この連鎖の変化させられる事象を何も必要とすることなく、果てしなく繰り返し続けるのだ。すべては、その位置、その命令、その繰り返しを持っていて、我々が示すように、それ自身の破壊さえもがそこに本来備わっている出来事であった。そしてそ引き続いて起きる、神の装置の避けられない復活も同様である。決して終わらないプロセスを決して止めることはできず、決して引き返すこともなく、 また決して多様でもないた。Friedrich Nietzscheが「永遠の繰り返し」のビジョンを経験したとき、この宇宙時計を一目見たにちがいない。ADI BUDDHAがこの世界時計であり、神の機械または神聖なる機械であり、絶対の意志と絶対のメカニズム、絶対の主観性と絶対の性質客観性、絶対のエゴと他者は、ADIBUDDHAの絶対の原型の中に統一を見つけると思われる。このパラドックスは、大きな神秘的な秘密としてタントラ教師によって広められている。
Kalachakraタントラの万能のブッダ(ADI BUDDHA)は、疑う余地なく、一般的な神、世界統治者(pantocrat)、 救世主(savior)と創造者のすべての特徴を示している;彼は、疑う余地なく一神教の特徴を有している。 [1]
全能の神的存在のアイディア、そしてその多くの特徴は近東の創造神の概念に合致し、それは大乗仏教仏教にすでに受け入れられるとともに、初期のタントラ(4世紀C.E)にも取り入れられた。最初にその成熟と最終的な公式をカーラチャクラの教え(10世紀)に見つける。ADI BUDDHAの一神教信者の特徴から、多くの西洋の研究者が、元来の近東への非仏教的なものの影響を疑っている。イランの源流への納得のいく言及もなされている。イメージの継続的な発達とその輪郭は、イスラム教に対する反動からさらなる恩恵を受けている。インドと近東では、個人的に置かれたアラーの顕現は、博識な仏教僧のエリート主義的で「抽象的な」ニルヴァーナ教義に対する、魅力的で感情的な反モデルとして普通の民衆に紹介された。このように適当なカリスマ的イメージを、元々持つ信仰の崇拝に加えるのは自然なことだったように思われる。ADI BUDDHAはまた、第一の神としてヒンズー多神教に代わるものを表すようになり、それは仏教が後にコーランの教えに脅かされたのと同じほど、ヒンズー教にとって強い脅威だった。
このような神の主観化イメージは、偉大な学者Nagarjuna(2~3世紀)が現れるまで、初期の仏教学校における正当な哲学的意見ではなかった。彼らは「ブッダ」を創造主Mundiとしてではなく、意識レベル・認識フィールド・覚醒段階・空虚・簡潔な精神状態として描写するのにたいへん骨を折った。しかしながら、たとえばADI BUDDHAのシステムでは、創造的な側面は神の激怒の現れ、または神的破壊という黙示録的審判の偉大なる役割を演じる。しかし、高度の精神的な自己を超えたブッダ意識は創造と破壊、生死を越えたレベルに存在している。
ADI BUDDHAは教義によると、全タントラ儀式システムに広がる「神学上の」原理である。完成した形態としては、Kalachakraタントラの個々の開始レベルを通って活動しているヨガ行者として、そしていまだ発展中の彼の不完全な形態としては、「雌雄同体cosmocrat」の完全体にとして現れる。不完全体においての彼は修行中のヨギであり、カーラチャクラタントラの個々崇拝レベルでの発展途上にある。原則として、タントラマスターの神秘的な身体はADI BUDDHAのそれと同じものだが、ヨギが彼の人体のすべての要素を「絶滅して」、それを神の体に変えた時初めて、その完全な同一化が起こる。
それではここで、Kalachakraタントラに記されたADIBUDDHAの力の拡大を見てみよう。基本的に、それは5つの面を示している:
1.内面
これはヨギ(またはADI BUDDHAそれぞれの)の中性的なエネルギー体にある、小宇宙を通しての手順として記述することができる。この「生理的地図」は、 複雑なシンボリックな性格、いわゆるdasakaro vasi(10のエネルギー風)として表される。より詳しくこのサインを調べてみよう。
1. 現世の/星の面
これは星まで伸びている。彼の小宇宙的な局面で、 ADI BUDDHAは全宇宙を包含している。太陽、月、星といった天体に言及される際、Kalachakraタントラは、 これをすべての古代文化の中のものとして、そして時間の指標として扱っている。これらをコントロールする者はみな誰もが時間の達人である。この章では、我々は時間のいろいろなタントラモデルを分析する。
1.空間的な/宇宙的な面
これは同様に全空間に拡大する。ADI BUDDHAは人でもあるが、同様に仏教宇宙の構造と同一であり、あるいは ? もう一つの見方では ? 全宇宙の小宇宙的モデルは、ADI BUDDHAの小宇宙体に相応している。両方ともマンダラ(宇宙図)の形をとっている。ここでは、ADI BUDDHAが力を振るう全宇宙の構造を解説する。
1.世界的な/政治的な面
これは仏教世界統治者(Chakravartin)についての考えに焦点を当てている。我々が示すように、ADI BUDDHAは全世界に対する現実の政治権力を率直に求めている。
1.神話的政治プログラム
Kalachakra タントラは世界統治者を一般的な話題として扱うことはないが、特定のユートピア、イデオロギーや国家の形に発展しシャンバラ神話に要約されている。ADI BUDDHAの世界政治プログラムはカーラチャクラタントラと後のチベットの歴史解析の理解のために大変重要である。別々のセクションをそれぞれに割くことにする。
第2部の我々の政治的部分の研究(「儀式としての政治」)では、ダライラマ14世と関連したこれらの5つの面全てについて調べてみる。 彼は、現在最も高いKalachakraマスターであり、その人、行動、思考がADI BUDDHAの概念に最も近い。
つづく
by mayufuru
| 2009-05-19 15:27