みつめている主体 その18
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「空像としての世界」のボームの対談の書き写しです。
全体運動 - 雲は風の運動を見えるものにする
ボーム「ホログラムは、電磁場の状態の像または定着した像であるか、あるいは何といってもよいのですが、写真か写真の感光板をその電磁場に置いた時にそこに起こるものにほかならず、それは運動の状態だと言いたい。私はそれを全体運動(ホロムーヴメント)と呼びます。写真の感光板上での場合はこの全体運動の一例です。電子線も同じ働きをするでしょうし、音波もホログラムを作ることができる。われわれが知っているあるいは知らないどんな形の運動もホログラムを生み出すでしょう。いま全体運動と呼んだ運動の、限定されない総体について考察してみたいと思います。この全体運動は顕前化するものの基底です。」
ウェーバー「全体運動は基底(グランド)……」
ボーム「全基底」
ウェーバー「顕前化するもののですね。」
ボーム「そうです。顕前化するものはいわば全体運動から引き出され、その上に浮遊しています。全体運動の基底運動は包み込みと抜出です。根本的に、すべての存在は比較的安定した形で顕前化する全体です。思い出して欲しいのですが、”顕前化された”(マニフェスト)という言葉はラテン語の”手で”(マニ)という語に基づいています。だから手で捉えること、あるいは安定して手で捉えることのできるもの、固いもの、手で触れることのできるもの、などを意味しています。視覚的に安定しているものも含みます。」
ウェーバー「さしあたり止められた流れですね。」
ボーム「絶えず動いていながら自分のかたちを保っている渦運動のように、少なくともさしたり釣り合いによる安定に至ろうとする流れ、相対的な閉鎖構造に至ろうとする流れです。」
ウェーバー「昨日、先生は手で捉えることのできるもの、固体といったものは精妙で安定性の少ない物質形態ではなくて、むしろ濃密な物質の形態だとおっしゃったと思いますが。」
ボーム「その通りです。物質の比較的安定した形態です。そういうことにしておきます。雲ですら安定した形態を取りますから、それを風の運動の顕前化と考えることができます。似た仕方で物質は全体運動の雲を形作っていると考えることができます。雲はわれわれの日常の感覚と思考に全体運動を手で摑めるが如く顕前化します。」
ウェーバー「”すべての存在は全体運動の形である”と先生は話されましたが、それは当然さまざまな能力をもった人間も含むことになりますね。」
ボーム「ええ、すべての細胞、あらゆる原子も含みます。この構図を完成するために付け加えますが、今の考え方は(量子)力学の意味をうまく説明し始めています。つまりこの抜き出す働きは(量子力学での)数学の意味するものを直接表現したものなのです。量子力学の中でのユニタリーの変換、あるいは数学による運動の基本的な記述と呼ばれていることが、まさに今われわれが話している事柄です。数学上の形でいえば、それはちょうど全体運動の数学的な記述にほかなりません。しかし現在のところ、その運動が物理学上どんな意味を持つか量子力学では分かっていないのです。だからわれわれは単に結果を得るために、結果を計算して出すために数学を利用する、それ以上の意味はない、としています。」
ウェーバー「物理学会はこの解釈を受け容れるでしょうか。」
ボーム「何をですか。ホログラフィ?」
ウェーバー「先生がいま指摘された物理学の現状をです。」
ボーム「受け容れるべきだと思います。物理学は場や量子といった概念を使いますが、それが一体何かと敢えて問えば、かれらも何のイメージも持ち合わせていないことを認めざるをえません。方程式で計算できることの結果以上の内容はないのです。」
ウェーバー「だから実用主義というわけですね。物理学も。」
ボーム「ええ、少なくとも実用主義的な言葉遣いです。しかし実用主義的で首尾一貫しているわけでもない。数学にはあらゆる種類の非実用主義的な概念が許されていますから。むしろ物理学は混乱しているといえるでしょう。物理学は実用主義的な面と高度に理論的で非実用主義的な面の混合です。しかも全然均衡がとれていません。つまり理論的な方程式の中でのみ許されているが、物理学の概念では方程式こそむしろ不動のものであり、物理学の概念は本質的に方程式の影像にすぎません。つまり物理学の概念は、方程式が計算することを想像をまじえて述べるための、便利な機械として以外の内容がないのです。だから物理学の概念は想像力による、しかも混乱した形で捉えられるだけです。」
ウェーバー「しかしそれでは物理学の概念は、何ら”真の実在”(リアル)にしっかりとつなぎとめられていない、現実的な(アクチュアル)な基底がないということに似ていませんか。」
ボーム「物理学の概念を真の実在につなぎとめる唯一のものは、実験上の結果にしかありません。物理学者は計算の結果によるこれこれの数値は、実験の結果によるこれこれの数値と一致すると言う。」
ウェーバー「それで、先生はこの問題をどのようにして違う仕方でお考えになりますか。」
ボーム「われわれは正しいにしろ誤っているにしろ、真の実在の記述を与えようとしています。真の実在の見方、つまりこの真の実在について忠実な、あるいは合致する記述を提案しています。そして今や量子力学の数学を、この真の実在の只中で起こりつつあることの計算方式とみなすことが可能です。」
ウェーバー「それは現在流行の功利主義的な要素とはずいぶん違っていますね。」
ボーム「ええ、古いニュートン主義の観点では、物質は真実には粒子といったものからできていると想定していたし、方程式はこれらの粒子の振舞い方を計算可能にすると言ってきました。しかし方程式と計算器具しかないとか、方程式は計算器具に現れてくるはずの数値を計算可能にするだけだ、などとは言わなかった。対照的に今日では、方程式の結果をすばやく概括して述べるためにさまざまの表象概念(イメージ)を導入はするものの、この表象概念はどんないみでも真の実在の記述だとは考えることができません。」
つづく
次回は「物地学は混乱している」です。
by mayufuru
| 2009-05-03 20:17