世界の認識その2
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去年の2月に「世界の認識」と題してこんなことを書いた。
まずはそれを再掲。
『90年代に見た夢で
最近ようやく意味がわかったものがある。
夢で
アーティストのNが手袋を忘れて帰ってしまった。
あとでNに
「手袋忘れてたよ」と言うと
「触ってみないと自分のものかどうかわからない」と言った。
謎かけをされたような不思議な夢だったので、
彼ならこんなこと言いそうだと思って、
絶対ウケルだろうと思って、
後日、この夢をNに告げたら
意外なことに意味がわからないと言った。
最近、本だったか何かで読んだ中に
見ることより触るほうが世界を正確に認識できるとあった。
だから、盲人のほうが一般人より世界を正確に認識できると。
(どこで何を読んだのか思い出せないけど。)
彼は私が思う本物の芸術家。
本物の芸術家は世界を正確に認識できる。
視覚より触覚のほうが世界を真に体験できる。
そのメッセージだったんだと思う。』
この続きを別の場所に書いたことがあって今日はそれを載せてみます。
『ここに、みつめあった恋人同士のAとBがいます。
みつめあったときにみえるのは互いの前側と前方に広がる風景。
(ただし相手に夢中なときは風景はみえないかもしれない)
ただし、AはBの、BはAの背面をみることは決して出来ない。
全体をみたいときはグルグル回ってもらうか、自分が回りこむか。
でも必ずみえない場所があり、決して全体を認識できない。
眼を閉じて、あるいは盲人が、相手を認識しようとするとき手で確認する。
手で、確認すると背面を認識できる。
抱きしめると全身を感じることができる、認識できる。
自己を認識するために他者の目が必要。
体はなんとか見えるけれど自分の顔はみえない。
でも、手で触れれば自分自身の顔、そして全体を認識できる。
あ、ここまで書いて
手で触れれば、他者を必要とせず世界を抱きしめることができるんだ。
眼では感じれない、肌の感触、エナジー、
細胞にインプットされている情報、色々が感じ取れる。
そして、眼で世界を認識するには光が必要。
手の場合は、光は要らない。
光がなければ、作り出した映像に惑わされず、ありのままの世界を認識できる。
世界を、今、この瞬間に抱きしめることなんだ、
今、この瞬間を生きることなんだ、
って思いました。』
以上です。
私は人を判断する時、目より耳で判断します。
特に電話の声。
耳に直接聞こえてくる声はみえないものが認識できるから。
目より耳のほうが、ダイレクトに世界に深い場所に触れているんだろうな。